右目は未来を見るか、左目は過去を見るか


序章 はじめに
第1章 「右目は過去を、左目は未来を見る」という言説が流布した経緯を確認する
第2章 具体的な著作物の事例を収集し比較する
第3章 「右目は未来を、左目は過去を見る」という言説の由来を推測する
第4章 右目と左目、太陽と月、未来と過去の関連性を再検討する
第5章 日光菩薩と月光菩薩の配置について確認する
第6章 「右目は過去、左目は未来を見る」という観念が、欧米から日本へ"輸入されたもの"である可能性を検討する
終章 「右目は過去を、左目は未来を見る」という観念は「右目は未来を、左目は過去を見る」という観念を反転させたものか
附録 「片目は未来を、片目は過去を見る」という言い回しについて検討する


【序】 はじめに

 ある日のことである。
 筆者はTwitter(現X)で「右目は過去を、左目は未来を見る」という言説に触れたツイートを見かけた。たとえば漫画やアニメの登場人物に、前髪や眼帯で片目を隠しているキャラクターがいたら、右目を隠しているか、それとも左目を隠しているかで、そのキャラクターの性質をうかがい知ることができるというのだ。
 過去を見る右目を隠していれば、過去と向き合えないでいる。
 未来を見る左目を隠していれば、未来から目を逸らしている。
 このような具合である。
 もっともらしく、また小説や漫画に登場するキャラクターを創作するときの良いネタになりそうなウンチク話である。しかし、なにか典拠があるのだろうか。
 興味を引かれて調べ始めたものの、どうも出典らしいものは見当たらない。むしろ「右目は過去を、左目は未来を見る」とは真逆の、「右目は未来を、左目は過去を見る」という言説まであると分かったので、論考した内容を、あらためて書き出すことにした。


【1】 「右目は過去を、左目は未来を見る」という言説が流布した経緯を確認する

 そもそもTwitterで「右目は過去を、左目は未来を見る」という言説が広まったのは、何がきっかけなのだろうか。
 結論から述べよう。
 筆者は、2017年2月4日に投稿された「右目は過去を、左目は未来を見ているそうです。つまりどちらか片方の目を隠しているキャラは過去や未来を見ないようにしていたり捨てたりしてる」∗1というツイートが、「右目は過去を、左目は未来を見る」という言説が広まった発端であると、推測している。
 当該ツイート(以下、「発端ツイート」という)は本稿の公開時点で4.5万リツイート、4.8万いいねされている、いわゆるバズったツイートである。リツイートやいいねの数は、数年かけて増えている可能性もあるが、発端ツイートが投稿された35分後には、別ユーザーが発端ツイートについて「RTの勢い順24位のツイートです。時速1,488RT」∗2と投稿しており、ツイートの内容が急速に拡散された様子をうかがい知ることができる。

 考察を深めるために、発端ツイートが投稿された前後の状況も比較する。
 本稿では、発端ツイートが投稿されるより前の、2007年2月4日から2017年2月4日までの10年間を「前期」、発端ツイートが投稿されたあとを「後期」と定義した。また、後期のうち2017年2月4日から2月5日までの24時間を「後期1」、2017年2月5日から3月4日までの27日間を「後期2」、2017年3月4日から翌年2018年2月4日までの11か月間を「後期3」、2018年2月4日から翌年2019年2月4日までの1年間を「後期4」と細分化した。後期を4つの期間に細分化したのは、発端ツイートがバズった影響によって、発端ツイートが投稿されてからの数日間とそれ以外の期間とで、サンプル数に偏りが生じることを懸念したためである。さらに「右目または右眼」「左目または左眼」「未来」および「過去」の4つの単語を含むツイートを検索し、発端ツイートと内容がよく似ているツイート(以下、「類似ツイート」という)を期間ごとに集計したうえで、投稿件数、投稿頻度、比率と差を分析した。
 ただし、同じ内容のツイートをくりかえす、いわゆるbotアカウントによる投稿については、集計対象から除外した。また、投稿者が承認した利用者でなければツイート内容を見ることができない、いわゆる鍵アカウントによる投稿についても、集計対象から除外した。
 なお、一連の調査は2023年11月30日から2024年5月31日までの半年間にわたって、断続的に、しかも試行錯誤しながら行なったものであり、途中にTwitterの仕様が変更されたこともあって、はなはだ精度の低いものになってしまったことを申し添えておく。∗3

(前期の分析)
 発端ツイートが投稿されるより前(前期)の、2007年2月4日から2017年2月4日までの10年間では、331件の類似ツイートが投稿されていた。投稿頻度は0.09件/日である。331件のうち192件が「右目は未来を、左目は過去を見る」(以下、「右未左過」という)とし、139件が「右目は過去を、左目は未来を見る」(以下、「右過左未」という)としていた。比率は58:42で、右未左過がやや優勢であるものの、比率の差は4ポイントと大差なく、ほぼ拮抗しているといえる。

(後期1の分析)
 発端ツイートが投稿された後(後期)のうち、2017年2月4日から翌日2月5日までの24時間では、81件の類似ツイートが投稿されていた。投稿頻度は81.0件/日であり、前期と比較すると、およそ894倍まで跳ね上がっている。類似ツイート81件のうち7件は「右未左過」とし、74件は「右過左未」としていた。比率は9:91であり、前期から大きく逆転し、比率の差も82ポイントへと増大している。ただしこちらの数値については、先に懸念を示したとおり、発端ツイートがバズった影響によってサンプルに偏りが生じている可能性がある。

(後期2の分析)
 発端ツイートの拡散が続いていたであろう2017年2月5日から3月4日までの27日間では、94件の類似ツイートが投稿されていた。投稿頻度は3.48件/日である。類似ツイート94件のうち15件は「右未左過」とし、79件は「右過左未」としていた。比率は16:84であり、比率の差は68ポイントである。後期1に比べると比率の差はやや小さくなっているが、前期に比べると、あいかわらず差が大きい。

(後期3の分析)
 発端ツイートの拡散が落ち着いたであろう1か月後の2017年3月4日から翌年2018年2月4日までの11か月間では、215件の類似ツイートが投稿されていた。投稿頻度は0.64件/日である。類似ツイート215件のうち45件は「右未左過」とし、170件は「右過左未」としていた。比率は21:79、比率の差は58ポイントである。

(後期4の分析)
 発端ツイートの拡散が完全に落ち着いたであろう2018年2月4日から翌年2019年2月4日までの1年間では、182件の類似ツイートが投稿されていた。投稿頻度は0.50件/日である。類似ツイート182件のうち42件は「右未左過」とし、140件が「右過左未」としていた。比率は23:77、比率の差は54ポイントである。

 総じて、前期では「右未左過」と「右過左未」の比率が58:42とほぼ拮抗していたのが、後期1では9:91と大きく逆転し、後期4に至っても23:77と、「右過左未」が優勢であることが分かる。また投稿頻度については、前期では0.09件/日だったのが、後期1では81.0件/日に跳ね上がり、後期4に至っても0.50件/日と、前期と比較して5~6倍程度まで増えたことが分かる。
 こうしたことから、2017年2月4日に投稿されたツイートをきっかけにして、「右目は過去を、左目は未来を見る」という言説が急速に広まったと、推測できるのである。

 以上のことをまとめて示したのが、下の表1-1である。

表1-1 日本国内のTwitterにおける「右目は過去を、左目は未来を見る」の類似ツイートの集計と分析

投稿期間
類似ツイート数
投稿頻度
右未左過
右過左未
比率
比率の差

前期(2007.2.4~2017.2.4)

331件
0.09件/日
192件
139件
58:42
4ポイント

後期1(2017.2.4~2017.2.5)

81件
81.0件/日
7件
74件
9:91
82ポイント

後期2(2017.2.5~2017.3.4)

94件
3.48件/日
15件
79件
16:84
68ポイント

後期3(2017.3.4~2018.2.4)

215件
0.64件/日
45件
170件
21:79
58ポイント

後期4(2018.2.4~2019.2.4)

182件
0.50件/日
42件
140件
23:77
54ポイント

 さらに、海外における「右目は過去を、左目は未来を見る」または「右目は未来を、左目は過去を見る」という言説の取り上げられ方についても、2024年6月23日に追加調査を行なった∗4。前期および後期1~4を対象として、「right eye」「left eye」「future」および「past」の4つの英単語を含むツイートを類似ツイートとして検索し、期間ごとに集計したうえで、投稿件数、投稿頻度、比率と差を分析した。

(前期の分析)
 2007年2月4日から2017年2月4日までの10年間では、49件の類似ツイートが投稿されていた。投稿頻度は0.01件/日である。類似ツイート49件のうち47件は「右未左過」とし、2件は「右過左未」としていた。比率は86:14、比率の差は72ポイントである。
(後期1~4の分析)
 2017年2月4日から2019年2月4日までの2年間では、13件の類似ツイートが投稿されていた。投稿頻度は0.02件/日である。類似ツイート13件のうち12件は「右未左過」とし、1件は「右過左未」としていた。比率は92:8、比率の差は84ポイントである。
 総じて、海外では、前期と後期のどちらにおいても「右未左過」と「右過左未」の比率の差が大きく、「右未左過」が圧倒的に優勢であると分かる。また投稿頻度については0.01~0.02件/日と、日本における前期の投稿頻度0.09件/日と比較しても低く、そもそも「右目は過去を、左目は未来を見る」または「右目は未来を、左目は過去を見る」という言説への関心が低いと考えられる。

 以上のことをまとめて示したのが、下の表1-2である。

表1-2 海外のTwitterにおける「右目は過去を、左目は未来を見る」の類似ツイートの集計と分析
投稿期間
類似ツイート数
投稿頻度
右未左過
右過左未
比率
比率の差

前期(2007.2.4~2017.2.4)

49件
0.01件/日
42件
7件
86:14
72ポイント

後期1~4(2017.2.4~2019.2.4)

13件
0.02件/日
12件
1件
92:8
84ポイント

 なお、参考として、発端ツイートが投稿されてから5年後の2022年2月4日から翌年2023年2月4日までの1年間に、海外のTwitterで投稿されたツイートを検索したところ、20件の類似ツイートが投稿されていた。投稿頻度は0.05件/日である。類似ツイート20件のうち17件が「右未左過」とし、3件が「右過左未」としていた。比率は85:15、比率の差は70ポイントである。後期1~4と比べると、投稿頻度は2倍以上に増加し、比率の差は14ポイント縮んでいるものの、あいかわらず「右未左過」が圧倒的に優勢である。
 一方、同じ期間に日本のTwitterで投稿されたツイートを検索したところ、565件の類似ツイートが投稿されていた。投稿頻度は1.55件/日である。類似ツイート565件のうち99件が「右未左過」とし、466件が「右過左未」としていた。比率は18:83∗5、比率の差は65ポイントである。後期4と比べると、投稿頻度は3倍以上に増加しており、比率の差も11ポイント大きくなっている。
 海外に比べて、日本では「右目は過去を、左目は未来を見る」という言説への関心が高く、いまも広がり続けているようである。

1. うぐなり, 2017.2.4 pm8:25, https://x.com/banketu_nari/status/827840480914268161(2024.5.31閲覧)
2. TwTimez, 2017.2.4 pm9:00, https://x.com/TwTimez/status/827849417868791808(2024.5.31閲覧)
3. ちなみにTwitterの仕様上、期間を指定して検索した場合の始期および終期は、指定した日付の午前9時に固定されている。たとえば2007年2月4日から2017年2月4日までの期間を検索した場合、厳密には2007年2月4日午前9時から2017年2月4日午前9時までの検索結果が反映されている。また、この検索結果についても、Twitter運営によっていわゆる「間引き」が行なわれている可能性があり、サンプルを不足なく十分に収集できたとは言いがたい。
4. この追加調査は、本稿(第1稿)を公開したあとに行なったものである。前注3でも指摘しているとおり、ツイートの検索結果はTwitter運営による「間引き」が行なわれている可能性があり、やはり精度は低い。
5. 小数点以下を四捨五入しているため、合計が100を超えている。


【2】 具体的な著作物の事例を収集し比較する

 第1章での分析により、日本のTwitterで「右目は過去を、左目は未来を見る」という言説が広まるきっかけとなったツイートは、ほぼ特定できたと思う。では、この「右目は過去を、左目は未来を見る」または「右目は未来を、左目は過去を見る」という言説に触れ、あるいは物語の人物設定などに採用している著作物は、実際にはどれだけの数があるのだろうか。
 以下に、筆者が収集した該当作品を列挙する。

(1) 「いほとせの御伽噺 ~天離る鄙に立ちて~」(青龍ノ皇(脚本), 2024)
 演劇集団・青龍ノ宴による舞台∗1。代表者が、Twitterで、登場人物のひとりについて「雉子の眼の色は左右で若干違います。過去を視る右眼と、未来を視る左眼なので」∗2と言及している。

(2) 「平家物語」(山田尚子(監督), 吉田玲子(脚本), 2022)
 アニメ。主人公びわは、右目が青色のオッドアイであり、「右目で未来を見ることができて、左目はやがて、亡霊(=過去)を見られるようになる」(古川, 2023, p.30)。

(3) 「速度ある理由」(BCNO, 2022)
 2016年から活動しているボカロPの2nd EP『Nightfall』の収録曲。歌詞に「左眼では過去のこと 右眼では未来のことを眺めながら」(BCNO, 2022)という一節がある。

(4) 『御伽の杜: 右眼で過去を想像し、左眼で未来を創造する 御伽の森』(東海林利治, 2021)
 小説。白猫のリンゴは「黄色い右目で、この世界の過去を」「青い左目で未来を覗」くことができる(東海林, 2021, 第1章)。

(5) 『俺は冒険者ギルドの悪徳ギルドマスター ~人材を適材適所に追放したら、なぜかめちゃくちゃ感謝されました』(茨木野, 2021)
 小説。主人公アクトは「左目は未来を見通し、秘められた可能性を見抜く。そして右目は……秘められし過去を読み取る」ことができる(茨木野, 2021 . p.23)。

(6) 『魔王様にパフェを作ったら喜ばれました』(要龍, 2020)
 漫画。「右目で過去を 左目で未来を視る神竜」であるプラフマウロが登場する(要, 2020, p.159)。

(7) 『Re:demarrage』(Clef Doll, 2019)
 2012年から活動している音楽グループのアルバム。アーティスト情報に「その少女の瞳には、何が視えるのか 左眼に未来 右眼に過去」∗3という一節がある。

(8) 「一刻者」(城所葵, 2016)
 2009年から2021年まで活動していたミュージシャンのミニアルバム『Protostar』の収録曲∗4。歌詞に「右目で過去を見て 左目で未来を見るの」∗5という一節がある。

(9) 『銀獣と碧の守護者』(鴇六連, 2014)
 小説。主人公シュペリは子供の頃、兄ユノーから女神フェリエにまつわる御伽噺を聞かされていたが、この女神フェリエの碧色の瞳は「右眼は過去を、左眼は未来を視る」ことができたとされている(鴇, 2014, p.23)。

(10) 「溢れる」(lego big morl, 2009)
 2006から活動しているバンドの2ndシングル。歌詞に「右目で見え透いてる明日を待つ僕は 左目で秘密の昨日をバレないように眺める」(lego big morl, 2009)という一節がある。
 右目で透かし見る「明日」を「未来」、左目で眺める「昨日」を「過去」と読み替えて、「右未左過」として扱う。

(11) 「過去・現在・未来」(石井杏季, 2008)
 宝塚造形芸術大学の学生による、連作6点18枚の写真作品。講評で「左目は未来を見る目、右目は過去を見る目」(宝塚造形芸術大学, 2008)と言及されている。

(12) 「11eyes -罪と罰と贖いの少女-」(Lass, 2008)
 ゲーム。ヒロインのひとり橘菊理の左目は、他者の目を介して過去を見る「過去視」の力を宿している。さらにゲームの終盤では、右目に「未来視」の力を宿すことになる。

(13) 「ふりだしの歌」(セカイイチ, 2004)
 2002年から活動し、2023年から無期限活動休止しているバンドの1stシングル。歌詞に「右目に過去を 左目に未来を」(セカイイチ, 2004)という一節がある。「見る」などの動詞を伴っていないが、参考として取り上げる。

(14) 「ポケットモンスター 金・銀」(任天堂, 1999)
 ゲーム。ことりポケモン・ネイティの進化形である、せいれいポケモン・ネイティオは「右目は未来、左目は過去を見る」(小学館, 2000, p.42,44)といわれている。ちなみに英語では「its right eye sees the future and its left eye views the past.(右目は未来を見て、左目は過去を眺める)」(Ballard, Selby & Sanders, 2010, p.287, 筆者訳)と説明されている。右目にsee、左目にviewと、別々の動詞が使われているのが特徴的である。∗6

(15) 『永遠とこしえの護り』(神月摩由璃, 1994)
 小説。主人公シオンが「……左眼は、未来を見る目だ」「〔故国の〕ディルムーンでは、左は未来を、右は過去を象徴する」(神月, 1994, p.132)∗7と語る場面がある。また、シオンの容姿について「未来を見とおす左眼、過去を見やる右眼――」(前掲, p.162)という描写がある。

(16) 「ブリューゲル、飛んだ」(荻野アンナ, 1989)
 小説。絵に描かれた人物について「右目はおとといの方角を、左目はあさっての方角を眺め」ているという描写がある(荻野, 1989, p.156)。
 右目で眺める「おととい」を過去、左目で眺める「あさって」を「未来」と読み替えて、「右過左未」として扱う。なお、「見当はずれの方向」のことを「あさっての方」と言う慣用表現があるが、おとといの方角やあさっての方角という言い回しも、この慣用表現を踏まえたものと考えられる。

(17) 「仮面ライダーBLACK」(小林義明, 辻理, 北本弘, 蔦林淳望, 小西通雄, 小笠原猛, 蓑輪雅夫(監督), 1987)
 テレビドラマ。悪の組織ゴルゴムの大神官ビシュムは「左目で過去、右目で未来を見通し、怪人に知識や予言を与える」(小学館, 1987)。

(18) 「奇眼」(神林長平, 1986)
 小説。右目が青、左目が灰色という、奇妙な目を持つ老人オッドアイが登場する。
 オッドアイは、自身の両目について「右眼ではみんなが化物に見える。左眼だとまともだ」(神林, 1986, p.100)と語るが、そのまともなはずの左目でさえも、町の外に広がる砂漠が海に見えていた(前掲, p.101)。オッドアイの奇妙な目については「右眼で過去を左眼で現在を見る」とも「〔右眼で見るのは〕未来で、左眼で見るのが過去なのかもしれない」(前掲, p.102)∗7とも推測されている。最終的には、続編「奇眼II」(神林, 1989)で、主人公が「〔オッドアイの両眼には〕過去と未来が見えていたんだ。右眼で過去か、それとも反対かもしれないけど」(神林, 1989, p.238)∗7と考察していた。
 このように、オッドアイについては左右の目のどちらが過去を見ていたのか、未来を見ていたのか、はたまた現在を見ていたのか、かならずしも判然としない。とりあえず本稿では、続編の記述を踏まえて「右過左未」として扱う。

(19) 「サンボナベントウラへの道」(十河義郎, 1979)
 詩。「左眼は過去を右眼は未来を見る」(短歌人, 1979, p.52)という一節がある。

(20) 『権力の中の暴力 -権力としての幻想-』(森田康, 1976)
 随筆。国会の両院制について「右眼の衆院が未来的現在へ偏向するのに対し、その抑止力として、左眼の参院は過去的現在による補正的媒因となる」(森田, 1976, p.257)と論じ、衆議院を右目にたとえつつ未来と関連づけ、参議院を左目にたとえつつ過去に関連づけている。
 なお、森田は「周知のように、両院制の存在理由を説くのに生物の両眼に擬して試みる見地がある」(同前)と説明しており、衆議院と参議院を両目にたとえる観点があることは、広く知られているらしい。ただし森田は「私はこの両眼説を空間的制約者としてよりも、むしろ時間的限定者として理解すべきであると信じている」(同前)とも述べており、両院を両目にたとえるだけでなく、さらに未来と過去に関連づけるというのは、森田独自の表現のようである。

(21) 「鏡がわれた」(玉岡洋子, 1975)
 詩「右目は未来を探り左目は過去をみつめる」(新詩人, 1975, p.35)という一節がある。

(22) 『時の魔女』(月森冴, 2022)
 漫画。第1巻で、アシュリーとエレノアのふたりが主人公として登場し、時の魔女によって「アシュリーの右目は『未来』」「エレノアの左目は『過去』を見る力」を宿すことになる(月森, 2022, p.11)。
 未来と過去を見る能力がふたりの人物に振り分けられている、特殊な例である。

(23) 「カウボーイビバップ」(渡辺信一郎(監督), 1998)
 アニメ。主人公スパイクの片目は義眼であり、「俺は、片方の目で過去を見て、もう一方で現在いまを見てた」(渡辺, 1998, 第26話)と語る。また「この左の目は過去を見てるんだ」(前掲, 第13話)とも発言しており、スパイク自身は「自分は右目で現在を、左目で過去を見ている」と考えていることが分かる。
 これは、左右の目で見るのが「未来と過去」ではなく「現在と過去」(右現左過)という、特殊な例である。「過去と未来を、それぞれ右目と左目のどちらで見るか」という本稿のテーマから外れるものの、参考として、敢えて取り上げた。後述の4作品も、同じ方針で取り上げている。

(24) 「氷の国の白夜」(ストレイテナー, 2011)
 1998年から活動しているバンドの7thオリジナルアルバム『STRAIGHTENER』の収録曲。歌詞に「右目は今を 左目は過去を見る」(ストレイテナー, 2011)という一節がある。
 右目で見る「今」を「現在」と読み替えて、「カウボーイビバップ」と同じく「右現左過」という特殊な例として扱う。

(25) 『赤獅子の王子に求婚されています』(彩東あやね, 2021)
 小説。主人公テオは、右目は青色、左目は黄金色のオッドアイであり、別の登場人物から「〔テオは〕右目で現実を、左目で未来を見ることのできる天の子」であると告げられる(彩東, 2021, p.23)∗7
 右目で見る「現実」を「現在」と読み替えて、「右目で現在を、左目で未来を見る」(右現左未)という特殊な例として扱う。

(26) 「takt op. 運命は真紅き旋律の街を」(DeNA, 2023)
 2023月6月28日に配信を開始し、2024年4月9日にサービスを終了したアプリゲーム。登場人物のひとり「ダフニスとクロエ」は、右目が赤、左目が青のオッドアイである。「ダフニスとクロエ」には未来が見えるときがあり、右目は未来に起こる悲劇を映し、左目は希望に満ちた未来を映し出すことが示唆されている。∗8
 「右目で未来を、左目で未来を見る」(右未左未)という、非常に特殊な例として扱う。

(27) 「世界のメディア曼陀羅華 第207話」(猪股英紀, 2019)
 雑誌記事。サブタイトルが「右目で来年、左目で20年先を見ながら進む時: ~『ケーブル年鑑2020』のデータを読む①~」(猪股, 2019)である。
 右目で見る「来年」と左目で見る「20年先」をともに「未来」と読み替えて、「takt op.」と同じく「右未左未」という特殊な例として扱う。

(28) 彼岸リコ(九魂柄タオ(キャラクターデザイン), 2022)
 2022年から活動しているVtuber。Twitterで「右目は今と未来を、左目は過去を見る」∗9と自己紹介している。「右目で今と未来を見る」とされているが、単純化するため「右目で未来を見る」と読み替えて、「右未左過」として扱う。
 Vtuberは、小説や漫画などの登場人物と違って、「実在する人物」であると考えられる。しかし外見に注目すれば、CGで描いた「著作物」ととらえることもできるので、後述のVtuberとあわせて、参考として取り上げた。

(29) Nanoha。(浅葱ゆな(キャラクターデザイン), なちく(Live2D), 2020)
 2020年から活動しているVtuber。右目がピンク、左目が水色のオッドアイである。Twitterで、自身の右目が未来、左目が過去と関連していることを示唆している。∗10∗11
 「未来を見る」あるいは「過去を見る」などと明言しているわけではないが、参考として取り上げる。

 海外にも目を向けてみよう。

(30) Minorei(Pagye(model art), Mochipu(model rig), 2022)
 2022年から活動しているVtuber。右目が金色、左目が青色のオッドアイである。Twitterで「I am Minorei, an arbiter sheep VTuber that can see your past with my right eye, and your future with my left eye!(わたしはミノレイ、右目であなたの過去を、左目で未来を見ることができる調停羊Vtuberです!)」∗12と自己紹介している。

(31) 「MY Right Eye Sees The Future, MY Left Eye Sees The Past」(My Cousin, 2019)
 YouTubeなどで活動しているミュージシャンのアルバム『Hell Is the Heaven Just for Sinners』の収録曲。タイトルを直訳すると「私の右目は未来を見て、私の左目は過去を見る」となる。

(32) 「Blind Vaysha」(Theodore Ushev(director), 2016)
 カナダ発の短編アニメ。主人公ヴァイシャは、右目は茶色、左目は緑色の美女で、うまれつき右目で未来を、左目で過去を見ることができた。しかし、いま現在のありさまを見ることができなかったために、周囲の人々から「盲目のヴァイシャ」と呼ばれた。

(33) 「Her Heart is Homeless」(Dale Harris, 2015)
 詩。「Her left eye sees the future, her right eye the past.(彼女の左目は未来を見る、彼女の右目は過去を)」(Harris, 2015, p.86, 筆者訳)という一節がある。

(34)『The Ancient Art of Faery Magick』(Conway, 2005)
 妖精にまつわる呪術についての解説本。自然に穴が開いた石を「聖なる石」とし、この聖なる石を使って、未来や過去を見る方法を紹介している。過去を見る場合は、片足で立って右目を閉じながら、左目で石の穴を覗く。未来を見る場合は逆で、左目を閉じて右目で穴を覗くという具合である。∗13

(35) 『Caucasus: The paradise lost』(Piera Graffer, 2004)
 旅行探検誌。怪鳥シムルグについて「With the left eye He sees the past and with the right eye the future.(左目で過去を見て、右目で未来を見る)」(Graffer, 2004, p.94, 筆者訳)と説明している。シムルグはペルシャ神話に登場する鳥の王であり、山のように巨大で、砦のように強く、その爪でゾウをも運び去ることができるという∗14。また、空を飛んで羽ばたけば大地は震え、嵐は狂い、海は荒れるともいう∗15
 一方、Besedovsky(2024)は、シムルグについて「capable of peering into the past with one eye, and for others to look to the future.(片目で過去を覗き込み、もう片方で未来を見ることができる)」∗16と紹介している。さらにさかのぼって、Nansen(1929)は「with one eye sees the past and with the other the future.(一つの眼は過去を、もう一つの眼は未来を見てゐる)」(Wheeler trans., 1931, p.37, 西 訳, 1942, pp.35-36)と記し、Morell(1854)も「overlooking the past with one eye, and the future with the other.(片目は過去を、もう片方は未来を見通す)」(Morell, 1854, p.52, 筆者訳)と述べている。より古いこれらの文献は、シムルグの過去と未来を見る能力を、左右の目に振り分けていない。こうしたことから「シムルグは左目で過去を見て、右目で未来を見る」という言説は、比較的新しい、後世における創作である可能性が考えられる。

(36) 『Young Indiana Jones and the Journey to the Underworld』(Megan Stine & H. William Stine, 1994)
 映画「インディ・ジョーンズ」シリーズの主人公インディの青年時代を描いた、小説シリーズの第4巻。日本語タイトルは『新ヤング・インディ・ジョーンズ 4 神々の迷宮』。若き日のインディは「With my left eye, I see the past,(わたしの左目には、過去が)」「With my right eye, I see the future.(右目には、未来が見える)」(Stine & Stine, 1994, p.59, 富永 訳, 1996, p.97)と語る占いの老婆から、不吉な運命を予言される。
 ちなみに老婆の両目は「One eye was brown, one was green.(ひとつは茶色で、ひとつは緑)」(同前)だが、左右の目のどちらがいずれの色なのかは分からない。文脈を踏まえれば、左目が茶色で右目が緑色であると思われる。

(37) 『The Heart is a Lonely Hunter』(Carson McCullers, 1940)
 小説。日本語タイトルは『心は孤独な狩人』。最終盤で、登場人物ビフについて「The left eye delved narrowly into the past while the right gazed wide and affrighted into a future of blackness, error, and ruin.(左の目は深く過去の中を探ろうとし、大きく見開きおびえた右目は、暗黒と過失と破滅の未来を見つめていた)」(McCullers, 1940, p.273, 河野 訳, 1972, p.448)と描写される。

 以上のサンプル37例について、日本国内と海外の事例を分けたうえで、著作物ごとの「左右の目で未来と過去のどちらを見るか」を示したのが、下の表2-1および2-2である。ふたつの表は、ともに、著作物の順序を発表年順に整理してある。なお、web小説またはweb漫画から書籍化された著作物の発表年については、web上に公開された年ではなく、書籍化された年を基準としている。

表2-1 日本国内における「右目は過去を、左目は未来を見る」およびその逆の著作物の例
出典(発表年), 人物等
右未左過
右過左未
その他

いほとせの御伽噺(2024), 雉子

takt op.(2023), ダフニスとクロエ

右未左未

平家物語(2022), びわ

速度ある理由(2022), -

時の魔女(2022), エレノア, アシュリー

彼岸リコ(2022), -

御伽の杜(2021), 白猫のリンゴ

俺は冒険者ギルドの悪徳ギルドマスター(2021), アクト

赤獅子の王子に求婚されています(2021), テオ

右現左未

魔王様にパフェを作ったら喜ばれました(2020), プラフマウロ

Nanoha。(2020), -

世界のメディア曼陀羅華(2019), -

右未左未

Re:demarrage(2019), 少女

一刻者(2016), -

銀獣と碧の守護者(2014), フェリエ

氷の国の白夜(2011), -

右現左過

溢れる(2009), -

過去・現在・未来(2008), -

11eyes(2008), 橘菊理

ふりだしの歌(2004), -

ポケモン 金・銀(1999), ネイティオ

カウボーイビバップ(1998), スパイク

右現左過

永遠の護り(1994), -

ブリューゲル、飛んだ(1989), -

仮面ライダーBLACK(1987), ビシュム

奇眼(1986), オッドアイ

サンボナベントウラへの道(1979), -

権力の中の暴力(1976), 衆議院, 参議院

鏡がわれた(1975), -

合計

12
12
5

表2-2 海外における「右目は過去を、左目は未来を見る」およびその逆の著作物の例
出典(発表年), 人物等
右未左過
右過左未
その他

Minorei(2022), -

MY Right Eye Sees The Future, MY Left Eye Sees The Past(2019), -

Blind Vaysha(2016), ヴァイシャ

Her Heart is Homeless(2015), -

The Ancient Art of Faery Magick(2005), -

Caucasus: The paradise lost(2000), シムルグ

Young Indiana Jones and the Journey to the Underworld(1994), 占いの老婆

The Heart is a Lonely Hunter(1940), ビフ

合計

6
2

 収集した著作物37例のうち、日本国内の29例の内訳は「右未左過」が12例、「右過左未」が12例、その他が5例である。比率にすると41:41:17∗17であり、「右未左過」と「右過左未」が拮抗している。
 また、2017年2月4日の発端ツイート以降に発行・発表された13例に限定しても、「右未左過」が5例、「右過左未」が5例、その他が3例である。比率は39:39:23∗18であり、こちらの場合も「右未左過」と「右過左未」が拮抗している。「右過左未」が優勢なTwitterとは、状況がまるで異なっている。
 海外の著作物8例の内訳は、「右未左過」が6例、「右過左未」が2例である。比率にすると75:25であり、「右未左過」が優勢である。

 このように、国内の著作物について見れば「右未左過」と「右過左未」が拮抗しており、前期におけるTwitterと状況が似ている。他方、第1章で述べたとおり、後期におけるTwitterでは「右過左未」が優勢になっており、国内全体の状況とTwitterの状況とで乖離が進んでいると考えられる。
 なお、海外では「右未左過」が優勢であると考えられるが、これは第1章で分析した海外におけるTwitterの状況とよく似ている。

1. 髙圓, 2024.4.6 pm5:54, https://x.com/seiryu_azuma/status/1776533941014679920(2024.6.15閲覧)
2. 青龍ノ宴>舞台公演>旗揚げ公演 いほとせの御伽噺 ~天離る鄙に立ちて~, https://seiryu-no-en.jimdofree.com/舞台公演/旗揚げ公演/(2024.6.15閲覧)
3. Clef Doll, 2019, https://linkco.re/yYFF0BbC(2024.5.31閲覧)
4. 城所葵Official HP>Discography, https://aoi-kidokoro.jimdofree.com/discography/(2024.5.31閲覧)
5. Onoda, 2017.5.16 am1:25, https://x.com/yokoonoda/status/864154663028785152(2024.5.31閲覧)
6. 他に「The right eye of the Xatu sees into the future while its left eye views the past.(ザートゥーの右目は未来を見て、左目は過去を眺める)」(Howze, Izzo, & Painton, 2001, p.38, 筆者訳)と説明されることもあり、ここでも右目にsee、左目にviewと、別々の動詞が使われている。「ザートゥー(Xatu)」とは、英語版でのネイティオの呼び名である。
7. 〔〕内は筆者による補足。
8. takt op. 運命は真紅き旋律の街を(タクトオーパス)公式サイト>Special>Illustration Novel #10 ダフニスとクロエ「私の信じる未来」(高羽彩 原案, 石原宙 小説, tef イラスト), https://game.takt-op.jp/special/novel/daphnis-chloe/(2024.5.31閲覧)
9. 彼岸, 2022.9.19 pm9:34, https://x.com/Lyco_Higan/status/1571840093752795136(2024.5.31閲覧)
10. Nanoha。, 2020.6.4 am3:20, https://x.com/Nano_song708/status/1268246134494867457(2024.5.31閲覧)
11. Nanoha。, 2020.6.8 am10:52, https://x.com/Nano_song708/status/1269809408051081218(2024.5.31閲覧)
12. Minorei, 2022.3.26 am7:55, https://x.com/minoreii/status/1507491443115442182, 筆者訳(2024.6.22閲覧)
13. Conway, 2005, p.34
14. ミツキエヴィッチ 著, 樹下 訳, 1960, p.327
15. ナンセン 著, 西 訳, 1942, p.36
16. Besedovsky, 2024, 筆者訳, https://www.safar-publishing.com/post/main-technical-of-the-soviet-afghan-war-the-simurgh(2024.5.31閲覧)
17. 小数点以下を四捨五入しているため、合計が100を下回っている。
18. 小数点以下を四捨五入しているため、合計が100を超えている。


【3】 「右目は未来を、左目は過去を見る」という言説の根拠を推測する

 筆者は、序章で「右目は過去を、左目は未来を見る」という言説の出典は見当たらないと述べた。では逆に、「右目は未来を、左目は過去を見る」という言説の典拠はあるのだろうか。
 いくつか仮説を立て、検証してみた。

(仮説1) アイ・アクセシング・キューに関連している
 「右目は未来を、左目は過去を見る」という言説を聞いて、筆者が最初に思い出したのは、米国の映画「The Negotiator」(Gray(director), 1998)(邦題「交渉人」)のとある場面だった。
 汚職の濡れ衣を着せられた刑事ローマンは、自分を陥れた内務調査局長ニーバウムを人質にして、ビルに立てこもる。ローマンはニーバウムを尋問するが、返答するニーバウムの視線の動きから、ニーバウムがウソをついているとローマンは看破する。

「目を読んでるんだ。目はウソをつけない」
「目が左上に動いたら? 神経生理学的に言うとそれは視覚系への動きで――真実を言っている」
「もし反対に右へ動いたら――脳の創造部への動きで、ウソをついてる」(グレイ(監督), 林(字幕翻訳), 1999)

 人の視線が左上に動くのは、記憶を探って、過去の視覚情報を思い出そうとしているからで、逆に右に動くのは、見たことのないもの、記憶にないものを想像しているからだというのだ。さらに相手がウソをついているか判断する材料は、目の動きだけではなく、体のしぐさ、咳払い、くしゃみ、足を組むなどの動作もとらえて総合的に判断すると、ローマンは語っている。
 1975年に提唱された神経言語プログラミング(NPL)では、眼球の動きで相手の心理状態を見抜くことができるとされ、このような視線の方向と心の状態との相関を、アイ・アクセシング・キューと呼ぶ。視線が右上に向くのは、未来のことや体験したことがない映像を頭の中で作り出しており、視線が左上に動くのは、過去に体験したことを視覚的イメージとして思い出している、という具合である∗1。先述したローマンの台詞と内容がよく似ており、ローマンが述べた尋問テクニックは、NLPのアイ・アクセシング・キューを応用したものと推測できる。ちなみに、ローマンはシカゴ警察所属という設定だが、類似の警察組織である米国連邦捜査局(FBI)も、被疑者の尋問などにNLPを利用している∗2
 しかしNLPについては、主張を裏付ける証拠が少なく∗3、有効性の実証が不十分であるとも指摘されている∗4。さらに国際警察署長協会(IACP)は、アイ・アクセシング・キューによって被疑者の証言の真偽を判別する方法は、信頼性が低く、偽証した場合の視線の動きとの相関関係も偶然以上のものではないと批判している∗5。神経生理学にもとづくというローマンの尋問術は、科学的な根拠が薄いと考えられる。
 これらのことから、アイ・アクセシング・キューやローマンの台詞を「右未左過」と関連づけるのは、いささか拙速に思える。

(仮説2) 書記法に関連している
 欧米の文章は横書きであり、文字を左から右へと書き進めることから、左が過去、右が未来に結びつけられたと考えられる∗6。他方、日本はもっぱら縦書きが主流であり、文字を右から左へと書き進めることから、右が過去、左が未来と結びつけられたと考えることができる∗7。しかしそれでは、日本国内で「右未左過」と「右過左未」が拮抗している理由を説明できない。
 そこで、もうすこし踏み込んで考察する。
 第2章で具体的な事例としてとりあげた日本国内の著作物29例を「文章を横書きにしているもの」と「文章を縦書きにしているもの」に分類したうえで分析する。たとえば小説はもっぱら縦書きであり、文字を右から左へと書き進めるので、小説の作者は「右過左未」の観念となじみ深く、自身の著作物でも「右過左未」の設定を採用していると推測できる。

 まず横書きの著作物について見る。楽曲は、歌詞や楽譜が横書きであることから、事例2-3、8、10、13、24は横書きとして扱う。ゲームはプレイ中に表示されるテキストの多くが横書きであることから、事例2-12、14、26も横書きとして扱う。事例2-7はweb小説として捉え、横書きとして扱う。事例2-27も横書きとして扱う。さらに事例2-5(茨木野, 2021)は縦書きの小説として出版されているが、もともと横書きのweb小説(茨木野, 2020)として発表されたものを書籍化し出版したものであることから、事例2-5も横書きとして扱う。
 次に縦書きの著作物について見る。小説の事例2-4、6、9、15、16、18、25、詩の2-19、21、随筆の2-20は縦書きとして扱う。アニメやドラマ、舞台の脚本が多くの場合は縦書きであることから、事例2-1、2、17、23も縦書きとして扱う。漫画は台詞などが縦書きであることから、事例2-6、22も縦書きとして扱う。
 写真作品である事例2-11と、Vtuberである事例2-28、29については、分類不能として、扱わない。
 以上のことを踏まえ、まとめて示したのが、下の表3-1および3-2である。

表3-1 横書きの著作物の「右未左過」と「右過左未」の内訳
事例番号, 作品名
右未左過
右過左未
その他

2-3, 速度ある理由

2-5, 俺は冒険者ギルドの悪徳ギルドマスター

2-7, Re:demarrage

2-8, 一刻者

2-10, 溢れる

2-12, 11eyes

2-13, ふりだしの歌

右現左過

2-14, ポケモン 金・銀

2-24, 氷の国の白夜

2-26, takt op.

右未左未

2-27, 世界のメディア曼陀羅華

右未左未

合計

4
4
3

表3-2 縦書きの著作物の「右未左過」と「右過左未」の内訳
事例番号, 作品名
右未左過
右過左未
その他

2-1, いほとせの御伽噺

2-2, 平家物語

2-4, 御伽の杜

2-6, 魔王様にパフェを作ったら喜ばれました

2-9, 銀獣と碧の守護者

2-15, 永遠の護り

2-16, ブリューゲル、飛んだ

2-17, 仮面ライダーBLACK

2-18, 奇眼

2-19, サンボナベントウラへの道

2-20, 権力の中の暴力

2-21, 鏡がわれた

2-22, 時の魔女

2-23, カウボーイビバップ

右現左過

2-25, 赤獅子の王子に求婚されています

右現左未

合計

6
7
2

 横書きの著作物11例のうち「右未左過」は4例、「右過左未」は4例、その他は3例である。比率は36:36:27∗8である。一方、縦書きの著作物15例のうち「右未左過」は6例、「右過左未」は7例、その他は2例である。比率は40:47:13である。
 筆者は、左から右へ書き進める横書きの著作物は「右未左過」の比率が大きくなり、右から左へ書き進める縦書きの著作物は「右過左未」の比率が大きくなると予測していた。しかし実際には、横書きの著作物については比率に差がなかった。縦書きの著作物についても「右過左未」がやや優勢ではあるものの、比率に大きな差はなかった。
 これらのことから、たしかに欧米では書記法と「右未左過」の関連性が強いと考えることはできるものの、日本においては、書記法と「右未左過」や「右過左未」との関連性は薄いと考えられる。∗9

(仮説3) 身体化認知に関連している
 人間が行なう認知処理は脳内表象のみに収まるものではなく、身体の感覚や動作への作用と、周囲の環境からの影響も考慮すべきという考え方がある。こうした考え方は身体化認知(embodied cognition)と呼ばれ、様々な検討がなされている。
 たとえばSantiago, Lupiáñez, Pérez & Funes(2007)は、スペイン語話者を対象として、モニターに表示された単語が未来と過去のどちらに関連するか判定したあとに、右手または左手でボタンを押す、という実験を行なっている。この実験は、スペイン語の書記法が横書きで、文字を左から右へと書き進めることから、スペイン語話者は右を未来、左を過去と認識しているという仮定にもとづいている。実験では「未来と判定したら左手でボタンを押し、過去と判定したら右手でボタンを押す」場合よりも、「未来と判定したら右手でボタンを押し、過去と判定したら左手でボタンを押す」場合の方が、被験者の反応が早い、という結果が得られている。
 また、日本では、佐藤(2014)によって、モニターに表示された単語が未来と過去のどちらにあたるかを判定し、右手または左手でボタンを押すという実験が行なわれている。この実験でも「未来と判定したら左手でボタンを押し、過去と判定したら右手でボタンを押す」場合よりも、「未来と判定したら右手でボタンを押し、過去と判定したら左手でボタンを押す」場合の方が、被験者の反応が早いという結果が得られている。内木と月元(2019)も、追試で同様の結果を得ている。これらの実験結果から、日本人も、右を未来、左を過去とする観念を持っており、それが身体の反射速度にも反映されていると考えることができる。
 さらにMochizuki(2018)は、日本における書記法に縦書きと横書きの2種類があることを踏まえた追試を行なっている。こちらの実験では、単語がモニターに水平に表示された場合は「未来と判定したら右手でボタンを押し、過去と判定したら左手でボタンを押す」方が早い一方、垂直に表示された場合は「未来と判定したら左手でボタンを押し、過去と判定したら右手でボタンを押す」方が早いという結果を得ている。
 しかし池田(2023)は、佐藤らによる実験の再現性に疑問を呈し、さらなる追試の必要性を主張している。加えて、仮説2で検証したとおり、筆者は、日本国内における横書きの著作物は「右未左過」との、縦書きの著作物は「右過左未」との結びつきが強くなると予測していたが、実際には両者に大きな差は無く、書記法と「右未左過」や「右過左未」との関連性は薄いと考えられた。
 池田の主張と、筆者の検証結果をあわせて踏まえると、身体化認知と「右未左過」を関連づけるのには、慎重にならざるを得ない。

(仮説4) 縁起だるまに関連している
 日本古来の縁起物である達磨は、「左右の目」が重要視されている。
 縁起だるまは両目が白目の状態になっており、願をかけるときに片方に目を入れ、成就したらもう片方に目を入れる。このとき左右どちらから目を入れるか順番を迷うところだが、発祥の地である群馬県高崎市の達磨寺は、願掛けするときは左(向かって右)に目を入れ、成就したら向かって右(向かって左)に目を入れるとしている。∗10
 仮説2のように、書記法という観点を踏まえれば、右から左の順に目を書き入れているので、これは「右過左未」ととらえることができる。しかし達磨にとっては、まず自身の左目に筆が入れられ、次に右目に筆が入れられているので、「右未左過」と、逆にとらえることもできてしまう。
 こうしたことから、達磨の左右の目に筆を入れる順番と「右未左過」を関連づけて考えるのは、これも無理があるように思われる。

(仮説5) 日月生成神話と関連している
 欧米には「右目は心臓と未来に対応し、左目は頭脳と過去に対応する」(Schuon, 1995, p.16, 筆者訳)、「右目は太陽、能動性、未来に対応し、左目は月、過去、受動性に対応する」(Schuon(1976), Perry & Lafouge trans., 2011, p127, 筆者訳)、「右眼は太陽すなわち昼の目として未来をあらわし、左眼は月すなわち夜の目として過去を象徴する」(クーパー 著(1978), 岩崎, 鈴木 訳, 1992, p.94)といった観念があり、「右目は太陽、昼、未来の伝統的なシンボルである一方、左目は月、夜、過去の一般的なイメージである」(Taylor, 1990, p.16, 筆者訳)とされる。
 これらの観念はエジプト神話を背景にしていると考えられ、「太陽を"光の神ラーの右目"、月を"光の神ラーの左目"と呼ぶ」(Brugsch, 1885, p.72, 筆者訳)こともある。また「右目はラー・アトゥムの太陽の目、左目はホルスの月の目」(Pinch, 1994, p.142, 筆者訳)ともいわれる。ホルスはハヤブサを象徴とする神であり、「彼の右目は太陽になり、左目は月になった」(Budge, 1926, p.83, 筆者訳)とも伝えられる。ホルスの目をかたどった護符についても「右目は太陽を、左目は月を象徴すると考えられ」(Gatty, 1877, p.17, 筆者訳)、とくにホルスの左目は「ウジャトの眼」とも別称される。南方(1917)∗11も「古エジプトの神ホルスは、日を右眼とし、月を左眼とし」(南方, 1951, p.234)と紹介しており、ホルスの伝承が、大正時代の日本でも知られていたことが分かる。
 これらのことから、欧米においては、右目を太陽と未来、左目を月と過去に結びつける観念が存在し、「右目は未来を、左目は過去を見る」という観念の成立につながったと考えることができる。欧米において「右未左過」の観念が優勢なのも、右目が太陽と未来、左目が月と過去を象徴するという考え方が、強く影響しているからであると推測できる。
 ちなみに、ヒンドゥー教にも「太陽と右目は未来に対応し、月と左目は過去に対応する」(Guénon(1925), Nicholson trans., 2001, p.135, 筆者訳)という観念がある。この場合、右目と左目にくわえて第三の目が想定され、「正面の目〔第三の目〕は現在に対応する」(同前) ∗12といわれる。

 ところで、ホルスの右目が太陽に、左目が月になったという神話とよく似た伝承が、東洋にも存在する。
 中国では、盤古が死んだとき、左目が太陽、右目が月、吐息が雲と風に変わったとする∗13。雲南省双柏県のイ族のロロ族は、虎の左目が太陽になり、右目が月になったと伝える∗14∗15。ミクロネシアのマリアナ諸島では、巨人ブンタンの死体の両目が日月になったとする∗13。日本も同系統の神話を伝えており、黄泉から帰還した伊弉諾尊が禊を行なったとき、左目から天照大神、右目から月読尊、鼻から素戔嗚尊が生まれたとする。
 これらの神話は、左右の目が太陽と月に変じるというモチーフが、ホルスの神話と共通している。ただし、左右の目と日月の対応が洋の東西で逆転している場合があることには、注意が必要である。また日本国内においては、左右の目と未来と過去を直接的に結びつける文献が、管見の限り見当たらないことも、あわせて指摘しておきたい。

1. 堀井, 2008, p.49
2. Sandoval & Adams, 2001
3. Sharpley, 1984
4. Sharpley, 1987
5. Wilson, 2010
6. プールファーは、欧米の文章が横書きであり、書記の際に手を左から右へ移動させることを踏まえて、左を過去、右を未来と関連づけている。(乾, 1960)
7. Buckstead(1982)は、日本や中国の文章が縦書きであり、書記の際に手を右から左へ移動させることを踏まえて、右を過去、左を未来と関連づけている。(武田, 1991)
8. 小数点以下を四捨五入しているため、合計が100を下回っている。
9. 大森(1992)は「一本の線を引く、その真中どころに点を一つ打ってこれを現在とする。そしてその右は未来、左は過去。この無造作な区分割りが物理学者の習慣であり、常人としてわれわれもこの習慣にそまってしまっている」(大森, 1992, p.28)と述べている。このことを踏まえると、我々日本人は、もともと「右未左過」になじみがあるといえる。
10. 黄檗宗 少林山 達磨寺>縁起だるま発祥の寺>だるま開眼, https://www.daruma.or.jp/縁起だるま(2024.5.31閲覧)
11. 「十二支考 蛇に関する民俗と伝説」の初出は、1917年(大正16年)である。(青空文庫>南方熊楠>十二支考 蛇に関する民俗と伝説, https://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/2536_20184.html)(2024.5.31閲覧)
12. 〔〕内は筆者による補足。
13. 井上, 1987
14. 萩原, 1998
15. 三隈(司会), 野村, 高山, 星野, 鈴木(素材提供者), 郡司, 小島, 後藤, 姫野(コメンテータ), 1994


【4】 右目と左目、太陽と月、未来と過去の関連性を再検討する

 第3章において仮説5を検討する中で、欧米では、エジプト神話のホルスに関連して、右目を太陽と未来、左目を月と過去に結びつける観念が存在することを確認し、このことが「右目で未来を、左目で過去を見る」という観念の成立に強く影響していると推測した。さらに、日本では、伊弉諾尊の神話に関連して、右目と月、左目と太陽が結びつけられることを確認した。
 欧米における、いうなればホルス型の「右日左月・右未左過」という対応を踏まえると、日本においては、伊弉諾型の「右月左日・右過左未」という逆の対応がみちびき出され、これによって日本では「右目で過去、左目で未来を見る」という言説が生まれたと想定することもできる。
 しかし、どうも、話はそう単純ではないようである。
 最澄は「法界心体論」で、「自身の心仏は東方に出で正覚を唱へては薬師如来と号す。左眼は月光菩薩と顕はれ、右眼は日光菩薩と現はる」(高畠, 1915)と述べており、左目を月光菩薩、右目を日光菩薩と関連づけている。左右の目と日月の対応が、左目が月に、右目が太陽に対応するホルス型と同じであり、左目が太陽に、右目が月に対応する伊弉諾型とは逆になっているのである。

 日光菩薩と月光菩薩は、薬師如来の脇侍である。
 ふつうは薬師三尊として、中央に薬師如来が、右脇(向かって左)に月光菩薩が、左脇(向かって右)に日光菩薩が配置される。この一点では、伊弉諾型の「右月左日」と符合する。しかしこの配置にも例外があり、たとえば京都市の醍醐寺∗1、岐阜県大垣市の報恩寺∗2、同じく下呂市の祖師野薬師堂∗3、愛知県江南市の音楽寺∗4では、薬師如来の右脇に日光菩薩が、左脇に月光菩薩が配置されており、通常と左右が逆である。また福島県河沼郡湯川村の常勝寺の薬師三尊は、現在は右脇に月光菩薩、左脇に日光菩薩が配置されているが、寺伝によると、国宝に指定される1903年(明治36年)まで名称が逆だったという∗5
 「法界心体論」は真偽未判の書であり∗6、しかも、左右の目と日光月光菩薩を結びつけた文献は、管見の限り他に見当たらない。しかしながら、日光月光菩薩の配置が左右逆転する実例があることを考え合わせると、日本国内ではホルス型の「右日左月」と、伊弉諾型の「右月左日」という、まったく別々の観念が並存していたと推測できる。

 これまでに検証してきたホルスと伊弉諾尊、右目と左目、太陽と月、さらに薬師三尊の右脇侍と左脇侍の対応関係をまとめたのが、下の表4である。

表4 「右目と左目、太陽と月、右脇侍と左脇侍」の対応
神仏
出典・寺院
右日左月
右月左日
類型
1
ホルス
エジプト神話
ホルス型
2
伊弉諾尊
日本神話
伊弉諾型
3
薬師三尊
法界心体論
ホルス型
4
薬師三尊
(通常の配置)
伊弉諾型
5
薬師三尊
醍醐寺
ホルス型
6
薬師三尊
報恩寺
ホルス型
7
薬師三尊
祖師野薬師堂
ホルス型
8
薬師三尊
音楽寺
ホルス型
9
薬師三尊
常勝寺
ホルス型

 欧米において、右目は、太陽と未来の伝統的なシンボルであり、左目は、月と過去の一般的なイメージである。この観念は、エジプトのホルス神話に由来すると考えられ、「右目は未来、左目は過去を見る」という観念にも深く関連していると推測できる。
 日本においても、ホルス神話と同じく、右目と太陽、左目と月を結びつける観念が存在する。それだけではなく、伊弉諾神話に由来する、右目と月、左目と太陽を結びつける、逆の観念も存在する。また、薬師如来の脇侍である日光月光菩薩の配置についても、左右逆転する場合がある。これらのことから、日本における左右の目と日月の対応は、欧米ほど強固なものではないと考えられる。
 加えて、日本国内において、左右の目と未来と過去を直接的に結びつける文献が見当たらないことも、あらためて強調しておきたい。

1. 醍醐寺(醍醐寺からのお知らせ 醍醐寺霊宝館の仏像棟で、金堂本尊・薬師三尊像を特別公開), 2010.5.15, https://www.daigoji.or.jp/special_news/news_100515.html(2024.5.31閲覧)
2. 円空さんを訪ねる旅(19)大垣報恩寺, 2008.10.9, http://shigeru.kommy.com/enkuu19houonji.htm(2024.5.31閲覧)
3. 円空さんを訪ねる旅(45)祖師野薬師堂再訪, 2014.10.5, http://shigeru.kommy.com/enkuu45sosinoyakusidou.html(2024.5.31閲覧)
4. 円空さんを訪ねる旅(31)音楽寺, 2011.1.2, http://shigeru.kommy.com/enkuu31.html(2024.5.31閲覧)
5. 湯川村>教育・文化>文化財一覧>彫刻(国宝)木造薬師如来および両脇侍蔵, https://www.vill.yugawa.fukushima.jp/kyouikuiinkai/bunkazai_02_chokoku.html(2024.5.31閲覧)
6. 山口, 1967, p.284


【5】 日光菩薩と月光菩薩の配置について再確認する

 第4章で、薬師如来の脇侍である日光月光菩薩について、ふつう薬師如来の右脇に月光菩薩が、左脇に日光菩薩が配置(右月左日)されるところ、逆に配置(右日左月)される事例があることを指摘し、具体的な寺院を例として挙げた。
 さらに考察を深めるため、ネットショップのAmazon、楽天市場、Yahoo!ショッピングに出品している仏像等の専門店(オンラインストア)が取り扱っている商品のうち、日光月光菩薩に関連する商品を検索して、両菩薩が左右どちらに配置されているかを分析した。なお、画像もしくは商品の説明文によって日光菩薩が右脇、月光菩薩が左脇に配置されていると明確に分かる商品を「右日左月」、それ以外を「右月左日」として集計した。
 筆者がサンプルとして収集した店舗および商品を、以下に列挙する。

(I) 栗田こだわり仏像専門店(https://butuzou.co.jp∗1)
 ・日光菩薩 月光菩薩 立像 放射光背 円台 桧木彩色 薬師如来脇侍
 ・日光菩薩 月光菩薩 立像 放射光背 円台 桧木 薬師如来脇侍
 ・日光菩薩 月光菩薩 立像 身丈9寸総高60cm桧木彩色
 ・日光菩薩 月光菩薩 立像 合掌形 身丈1.2尺総高60cm桧木
 ・薬師三尊(薬師80cm日光月光60cm)桧木
 ・薬師三尊(薬師80cm日光月光60cm)楠木彩色
 ・薬師三尊(薬師3.5寸飛天光背八角台、日光月光5.0寸) 桧木
 ・薬師三尊(薬師3.5寸草光背六角台、日光月光5.0寸) 桧木
 ・薬師三尊(薬師3.5寸、日光月光5.0寸) 桧木彩色
 ・薬師三尊(薬師3.5寸、日光月光4.0寸) 桧木
(II) 三宝堂(https://www.sanpodo.jp/∗1)
 ・黄楊(つげ) 御守り 薬師三尊(KW-1185)
(III) 仙福南陽堂(https://store.shopping.yahoo.co.jp/senpukushop/∗1)
 ・西国四十九薬師霊場 本金西国薬師三尊佛 納経軸 朱印軸
(IV) 滝田商店(https://www.butsudanya.co.jp/shopping.html∗1)
 ・厄除け三開仏 薬師三尊 柘植製
(V) 仏教美術 天竺(https://www.rakuten.ne.jp/gold/naka/∗1)
 ・薬師如来十二神将 仏画掛け軸(半切サイズ)
(VI) トモエの木彫仏像(https://tomoe3.co.jp/∗1)
 ・仏像 日光菩薩 月光菩薩 立像 4.0寸 一対 放射光背 円台
 ・木調仏像 日光月光菩薩(合掌形) 身丈4.0寸桧木
 ・仏像 木彫り 日光月光菩薩総高60cm放射円光背桧木
 ・木彫仏像/薬師如来三尊 三開仏 幸福を祈るご本尊仏龕 仏像 枕本尊 縁起物
(VII) なむなむストリート(https://7676street.stores.jp∗1)
 ・日光月光菩薩と薬師如来の梵字 刺繍パーカー 半袖 メンズ レディス 003A
 ・日光月光菩薩と薬師如来の梵字 刺繍パーカー 長袖 メンズ レディス 003A
 ・日光月光菩薩と薬師如来の梵字 刺繍 和風 壁掛け 壁飾り 掛け軸 タペストリー
 ・日光月光菩薩と薬師如来の梵字 刺繍 トートバッグ (M) W26×H33 003A
 ・日光月光菩薩と薬師如来の梵字 刺繍 キャンバストートバッグ (W) W30×H35×D10 003A
(VIII) 繁樓藝雕(https://www.amazon.co.jp/stores/page/8EEF6653-7797-4F83-A282-E4ABE4403591∗1)
 ・薬師三尊 日光菩薩 月光菩薩 木彫り 置物 桧木製 風水 開運 祈る 厄除け(高さ43cm×巾14.5cm×奥行14.5cm)
(IX) 龍祥(https://www.ryu-sho.co.jp∗1)
 ・柘植 日光菩薩月光菩薩 24cm 木彫り 仏像
 ・榧 最上彫り日光菩薩月光菩薩
 ・香木桧 最上日光菩薩最上月光菩薩
 ・柘植 日光菩薩月光菩薩 28cm
(X) 工場直販のdsdsadこだわり工芸品専門店(https://www.amazon.co.jp/s?me=A30KIDQPLMB3A4∗1)
 ・仏像 木彫り 薬師三尊 彫刻 ツゲ 柘植 開運 守り本尊 (金泥仕様)

 以上の10店舗・29商品をまとめて、右日左月と右月左日のいずれに該当するかを示したのが、下の表5である。

表5 ネットショップ等における日光菩薩と月光菩薩の配置
出品店舗, 商品概要
右日左月
右月左日
類型
1

栗田こだわり仏像専門店, 日光月光菩薩像

ホルス型
2

栗田こだわり仏像専門店, 日光月光菩薩像

ホルス型
3

栗田こだわり仏像専門店, 日光月光菩薩像

ホルス型
4

栗田こだわり仏像専門店, 日光月光菩薩像

伊弉諾型
5

栗田こだわり仏像専門店, 薬師三尊像

ホルス型
6

栗田こだわり仏像専門店, 薬師三尊像

ホルス型
7

栗田こだわり仏像専門店, 薬師三尊像

ホルス型
8

栗田こだわり仏像専門店, 薬師三尊像

ホルス型
9

栗田こだわり仏像専門店, 薬師三尊像

ホルス型
10

栗田こだわり仏像専門店, 薬師三尊像

ホルス型
11

三宝堂, 薬師三尊像

ホルス型
12

仙福南陽堂店, 薬師三尊掛軸

伊弉諾型
13

滝田商店, 薬師三尊像

ホルス型
14

仏教美術 天竺, 薬師如来十二神将掛軸

伊弉諾型
15

トモエの木彫仏像, 日光月光菩薩像

ホルス型
16

トモエの木彫仏像, 日光月光菩薩像

伊弉諾型
17

トモエの木彫仏像, 日光月光菩薩像

伊弉諾型
18

トモエの木彫仏像, 薬師三尊像

伊弉諾型
19

なむなむストリート, 日光月光菩薩刺繍パーカー

伊弉諾型
20

なむなむストリート, 日光月光菩薩刺繍パーカー

伊弉諾型
21

なむなむストリート, 日光月光菩薩刺繍タペストリー

伊弉諾型
22

なむなむストリート, 日光月光菩薩刺繍バッグ

伊弉諾型
23

なむなむストリート, 日光月光菩薩刺繍バッグ

伊弉諾型
24

繁樓藝雕, 薬師三尊像

ホルス型
25

龍祥, 日光月光菩薩像

伊弉諾型
26

龍祥, 日光月光菩薩像

伊弉諾型
27

龍祥, 日光月光菩薩像

伊弉諾型
28

龍祥, 日光月光菩薩像

伊弉諾型
29

工場直販のdsdsadこだわり工芸品専門店, 薬師三尊像

ホルス型

合計

14
15

 以上の29例のうち、日光菩薩が右、月光菩薩が左に配置されている「右日左月」は14例、その逆の「右月左日」は15例である。比率は48:52、比率の差は4ポイントである。「右月左日」がやや優勢ではあるものの、「右日左月」とほぼ拮抗しているといえる。

 くりかえし指摘している通り、欧米において、右目は太陽と未来の伝統的なシンボルであり、左目は月と過去の一般的なイメージである。そしてこの結びつきの観念は、かなり強固なものであると想像できる。
 しかし日本における左右と日月の対応は、欧米ほど結びつきが強いようには感じられない。伊弉諾尊は右目から月神を、左目から日神を生み出した一方で、最澄は右目と日光菩薩を、左目と月光菩薩を結びつけている。寺院やネットショップにおいて、日光月光菩薩の左右の配置がしばしば入れ替わるという事実も、日本における左右と日月の対応の結びつきの弱さを裏付けるように思われる。

1. 2024.6.7閲覧


【6】 「右目は過去、左目は未来を見る」という観念が、欧米から日本へ"輸入されたもの"である可能性を検討する

 欧米において、右目は、太陽と未来の伝統的なシンボルであり、左目は、月と過去の一般的なイメージである。
 エジプトのホルス神話に由来する「右目は太陽を、左目は月を象徴する」という観念から出発し、「右目は太陽と未来を、左目は月と過去を象徴する」という観念による橋渡しを経て、欧米における「右目は太陽を、左目は月を象徴する」という観念が生まれたと、想定できる。
 一方、日本では、右目と月、左目と太陽を結びつける観念と、右目と太陽、左目と月を結びつける観念とが、別々に存在していたことが分かっている。しかし日本における、たとえば「右目は過去を、左目は未来を見る」という観念については、伊弉諾神話に由来する「右目は月を、左目は太陽を象徴する」という観念を出発点と見なすことはできるものの、橋渡しとなるであろう「右目は月と過去を、左目は太陽と未来を象徴する」という観念に触れた文献は、管見の限り見当たらない。
 さらに、「右目は未来を、左目は過去を見る」という観念については、訳本『心は孤独な狩人』(河野, 1972)を除けば、「鏡がわれた」(玉岡, 1975)より前の例は無い。「右目は過去を、左目は未来を見る」という観念の初出となると、「奇眼」(神林, 1986)まで時代がくだってしまう。ちなみに、目の左右にこだわらない「片目は未来を、片目は過去を見る(片未片過)」という表現であれば、訳本『レーニン主義十二講』(1928)∗1までさかのぼることができる。いずれにしろ、両目を未来や過去と結びつける観念が日本の文学作品などで取り上げられるようになったのは、1900年以降の、ごく最近のことであるように思われる。

 ところで「鏡がわれた」は、「右目は未来を探り左目は過去をみつめる」(新詩人354集, 1975, p.35)という一節で、右目に「探る」、左目に「みつめる」という異なる動詞を用いている。訳本『心は孤独な狩人』でも「左の目は深く過去の中を探ろうとし、大きく見開きおびえた右目は、暗黒と過失と破滅の未来を見つめていた」(河野, 1972, p.448)と、左目に「探る」、右目に「見つめる」という別々の動詞を用いている。目の左右が逆転しており、漢字を開いているか閉じているかという違いはあるものの、単純に「見る」のではなく、左右の目で「探る」「見つめる」と動詞を使い分けているのは、おもしろい偶然の一致である。
 なお『心は孤独な狩人』の当該部分の原文は「The left eye delved narrowly into the past while the right gazed wide and affrighted into a future of blackness, error, and ruin.」(McCullers, 1940, p.273)であり、delveは「掘り下げる、深く探る、徹底的に調べる」、gazeは「見つめる、凝視する」といった意味の動詞である。河野が、左右の目に「探る」「見つめる」という別々の動詞を用いているのは、左右の目に「delve(探る)」「gaze(見つめる)」という別々の動詞をあてている原文を、素直に翻訳したからだと考えられる。
 ちなみに『心は孤独な狩人』は、河野による訳本の他に、村上(2020)による訳本がある。村上は当該部分を「左の目は過去に向けて狭くすぼめられ、その一方で右目はぐっと見開かれ、恐怖の念をもって未来を見据えていた。暗黒と誤謬と破壊の未来を」(村上 訳, 2020, p.388)と訳している。村上はdelveに「すぼめる」、gazeに「見据える」という動詞をあてているのである。
 ともかく「鏡がわれた」は、左右の目に「探る」「見つめる」という別々の動詞を用いており、この表現は、河野訳の『心は孤独な狩人』と共通している。あるいは、玉岡は河野訳の『心は孤独な狩人』の読者であり、河野の表現を、自身の詩に取り入れた可能性も考えられる。そして『心は孤独な狩人』は、もともとMcCullersの『The Heart is a Lonely Hunter』を訳したものである。

 これらのことを踏まえると、日本における「右目は未来を、左目は過去を見る」という観念は、日本に古来からあるわけではなく、また左右の目と日月の対応ともまったく無関係に、海外から"輸入されたもの"である可能性が考えられそうである。

1. ケルヂェンツェフ 著, 河村 訳, 1928, p.79


【結】 「右目は過去を、左目は未来を見る」という観念は「右目は未来を、左目は過去を見る」という観念を反転させたものか

 これまでの考察をまとめよう。
(1) Twitterで流布している「右目は過去を、左目は未来を見る」という言説は、2017年2月4日に投稿されたツイートがきっかけで広まったと考察した。他方、「右目は未来を、左目は過去を見る」という、逆の言説も存在することを確認した。
(2) 日本国内の著作物での「右未左過」と「右過左未」の取り上げ方には、大きな差が無いことを確認した。また、欧米の著作物では「右未左過」が優勢であることを確認した。
(3) 欧米において「右目は、太陽と未来の伝統的なシンボルであり、左目は、月と過去の一般的なイメージである」ことを確認し、この観念が「右目は未来を、左目は過去を見る」という言説に強く影響していると考察した。
(4) 日本においても左右の目を太陽と月に結びつける観念があることを確認するとともに、右目が太陽を、左目が月を象徴する観念と、右目が月を、左目が太陽を象徴する観念とが、古くから並存してきたと考察した。
(5) 日本において、左右の目と未来と過去を直接的に結びつける文献が見当たらないことを確認し、日本における「右目は未来を、左目は過去を見る」という言説は、欧米から"輸入されたもの"である可能性を指摘した。

 最後に、筆者の推論を述べる。
 日本国内における「右目は過去を、左目は未来を見る」という言説は、欧米における「右目は未来を、左目は過去を見る」という観念を反転させて、まったく新しく創り出されたものなのではないだろうか。

 元来、欧米にはホルス型の「右日左月」という観念と、右目は太陽と未来を、左目は月と過去を象徴するという観念があり、それらを踏まえて「右目は未来を、左目は過去を見る」という観念が生まれた。
 一方、日本にも「右日左月」や「右月左日」という観念が古くから並存していたが、左右の目と未来と過去を直接的に結びつける観念は存在しなかった。ところが、訳本『心は孤独な狩人』(河野, 1972)が日本国内で出版されて以降、「右未左過」という観念が、日本に流入してきた。そして欧米の「右日左月・右未左過」という観念に触れた日本人が、伊弉諾尊の右目から月神が、左目から太陽神が生まれたという神話を連想して、伊弉諾型の「右月左日・右過左未」という逆の対応を考え出した。
 そうして、「右目は過去を、左目は未来を見る」という、まったく新しい言説を創り出した。

 もともと欧米にあった「右未左過」という観念が日本に輸入されたあと、その観念をひっくりかえした「右過左未」という新しい言説を、日本人が創造した、という仮説である。
 欧米で「右未左過」が優勢であるのに対して、日本では「右未左過」と「右過左未」が拮抗している理由も、日本におけるふたつの言説がどちらも外来のものであり、いずれか一方に片寄らないまま両説が定着したからと考えられる。この場合、欧米における「右未左過」の観念が、太陽や月と強く結びついているのに対して、日本における「右未左過」や「右過左未」の観念は、太陽や月との関連性が希薄であると思われる。

 根拠は乏しい。
 しかし、欧米ではもっぱら「右未左過」の観念が優勢であるのに対して、日本では「右未左過」と「右過左未」の観念が拮抗している理由を考えようとすると、このような想像に行きついてしまうのである。


2024.6.16 第1稿公開(2024.6.29 改稿*, 10.15 第7章を「附録」に変更, 2025.4.28 修正)

*改稿内容は、以下のとおりである。
・第1章に、海外のTwitterにおける「右目は過去を、左目は未来を見る」または「右目は未来を、左目は過去を見る」という言説の取り上げられ方についての追加調査の結果と、表1-2を加えた。
・第2章に、事例2-30および34、ならびに表2-2を加えた。
・第3章に、表3-2、ならびに注6、7および9を加えた。
・第7章に、事例7-4、7、12、16、19、22、24~25、28、30、36、41、77~82、95、108~112、123~125、129および132を加えた。
・これらの変更にあわせて、文言と数値を調整した。


一覧


参考文献
・青空文庫>南方熊楠>十二支考 蛇に関する民俗と伝説(https://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/2536_20184.html)
・秋山駿「日常的現実と文学の展開 -1961~1977」(戦後日本文学史・年表, 講談社, 1979)
・秋山駿「模索するもの」(群像 23(7), 1968.7)
・池田慎之介「未来は君の右手の小指にあるのか? -佐藤(2014)の追試による時間概念の検討-」(心理学研究 94(3), 2023.8)
・和泉あき「日本浪曼派の功罪」(国文学 解釈と鑑賞 44(1), 1979.1)
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・猪股英紀「世界のメディア曼陀羅華 第207話」(B-maga 18(11), 2019.11)
・茨木野(2020)「俺は冒険者ギルドの悪徳ギルドマスター ~無駄な人材を適材適所に追放してるだけなのに、なぜかめちゃくちゃ感謝されている件「なに? 今更ギルドに戻ってきたいだと? まだ早い、君はそこで頑張れるはずだ」 03.悪徳ギルドマスター、セクハラ課長を懲らしめる」(小説家になろう, https://ncode.syosetu.com/n9607gq/3/)(2024.5.31閲覧)
・茨木野『俺は冒険者ギルドの悪徳ギルドマスター ~人材を適材適所に追放したら、なぜかめちゃくちゃ感謝されました』(SBクリエイティブ, 2021)
・植条則夫『広告コピーの基礎理論』(誠文堂新光社, 1966)
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・内木智美, 月元敬「過去の左手、未来の右手 -記憶の時間軸の身体性-」(岐阜大学教育学部研究報告 人文科学 68(1), 2019)
・円空さんを訪ねる旅(http://shigeru.kommy.com/enkuu.htm)
・黄檗宗 少林山 達磨寺>縁起だるま発祥の寺>だるま開眼(https://www.daruma.or.jp/縁起だるま)
・荻野アンナ「ブリューゲル、飛んだ」(新潮 1017, 1989.10)
・小野島大(インタビュー, 文), 増田勇一(文)「David Lee Roth: Special interview in Japan」(ミュージック・ライフ 44(8), シンコー・ミュージック, 1994.7)
・要龍『魔王様にパフェを作ったら喜ばれました 1』(KADOKAWA, 2020)
・城所葵Official HP>Discography(https://aoi-kidokoro.jimdofree.com/discography/)
・久保モリソン(https://x.com/amorrisonk)
・神月摩由璃『永遠の護り』(角川書店, 1994)
・小林義明, 辻理, 北本弘, 蔦林淳望, 小西通雄, 小笠原猛, 蓑輪雅夫(監督)(1987)「仮面ライダーBLACK」(東映, 毎日放送)
・米谷ふみ子「0線に向かって」(新潮 91(2), 1994.2)
・彩東あやね『赤獅子の王子に求婚されています』(親書館, 2021)
・斉藤健一郎「法、時間、既得権: 法の時間的効力の基礎理論的研究」(筑波大学, 2015)
・佐藤德「未来は君の右手にある -身体化された時間概念-」(心理学研究 85(4), 2014)
・清水起正『熟語本位としたる最新英文和譯法解釈篇』(国立国会図書館デジタルコレクション, https://dl.ndl.go.jp/pid/1184099) ・小学館「小学六年生 昭和62年11月号」(小学館, 1987.11)
・小学館「小学二年生 平成12年12月号」(小学館, 2000.12)
・ストレイテナー(2011)「氷の国の白夜」(STRAIGHTENER, ストレイテナー, EMIミュージック・ジャパン)
・青龍ノ宴(https://seiryu-no-en.jimdofree.com/)
・青龍ノ皇(脚本)(2024)「いほとせの御伽噺 ~天離る鄙に立ちて~」(青龍ノ宴)
・セカイイチ(2004)「ふりだしの歌」(tokiola records)
・十河義郎「サンボナベントウラへの道」(短歌人440, 1979.2, p.52)
・醍醐寺(醍醐寺からのお知らせ 醍醐寺霊宝館の仏像棟で、金堂本尊・薬師三尊像を特別公開)(2010.5.15, https://www.daigoji.or.jp/special_news/news_100515.html)
・高畠寬我「天台宗に於ける彌陀觀(承前)」(宗教界 11(8), 1915.8)
・髙圓あずま(青龍ノ宴)(https://x.com/seiryu_azuma)
・宝塚造形芸術大学「アートヒルニュース No.86 秋の造形展優秀作品特集号」(宝塚造形芸術大学, 2008.12, https://www.takara-univ.ac.jp/about/publicity/pdf/arthill_no86.pdf)(2024.5.31閲覧)
・田川隆子「このひととき」(聲 822, 1944.11)
・武田勝彦「海外における川端康成研究」(国文学: 解釈と鑑賞 56(9), 1991)
・玉岡洋子「鏡がわれた」(新詩人354, 1975.10)
・月森冴(2021)「時の魔女 第1話: 時の魔女の能力継承」(ニコニコ静画, https://seiga.nicovideo.jp/watch/mg565408)(2024.5.31閲覧)
・月森冴『時の魔女 第1巻』(ナンバーナイン, 2022)
・天台宗宗典刊行会 編『伝教大師全集 3』(天台宗宗典刊行会, 1912)
・東海林利治『御伽の杜: 右眼で過去を想像し、左眼で未来を創造する 御伽の森』(たいあっぷノベル, 2021)
・鴇六連『銀獣と碧の守護者』(KADOKAWA, 2014)
・長嶺修「ケッツァルの"アーバン・フォルクローレ"がしなやかに歌い上げる"チカーノ/ナ"アイデンティティの複数性」(ラティーナ 世界の音楽情報誌 551, 2000.1)
・任天堂, クリーチャーズ, ゲームフリーク(1999)「ポケットモンスター 金・銀」(任天堂)
・萩原秀三郎「来訪神と鬼やらい」(民俗芸能研究 27, 1998.9)
・彼岸リコ(九魂柄タオ(キャラクターデザイン), https://x.com/Lyco_Higan)
・平林泰佑 編「時代を透化する色彩のマジシャン -大沼映夫」(アトリエ, 1987.1)
・古川日出夫「京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る」(文藝2023年春季号, 河出書房新社, 2023.1)
・堀井恵『先生と生徒の心をつなぐNLP理論』(三修社, 2008)
・三隈治雄(司会)、野村伸一、高山茂、星野紘、鈴木正崇(素材提供者)、郡司正勝、小島美子、後藤淑、姫野翠(コメンテータ)「コメント・ディスカッション アジアの視点から -民族芸能研究の一方向-」(民俗芸能研究 20, 1994.11)
・道浦母都子「斎藤 史 -渉りかゆかむ: 乳房のうたの系譜 最終回」(季刊銀花 99, 1994.9)
・南方熊楠(1917)「十二支考 蛇に関する民俗と伝説」(渋沢敬三 編, 南方熊楠全集 1: 十二支考 I, 乾元社, 1951)
・森田康『権力の中の暴力 -権力としての幻想-』(鳴鳳社出版, 1976)
・山口光円『天台浄土教史』(天台学問所, 1967)
・山田尚子(監督), 吉田玲子(脚本)(2022)「平家物語」(サイエンスSARU, フジテレビ)
・湯川村>教育・文化>文化財一覧>彫刻(国宝)木造薬師如来および両脇侍蔵(https://www.vill.yugawa.fukushima.jp/kyouikuiinkai/bunkazai_02_chokoku.html)
・渡辺信一郎(監督)(1998)「カウボーイビバップ」(テレビ東京, WOWOW)
・BCNO(2022)「速度ある理由」(Nightfall, BCNO)
・Clef Doll(2019)『Re:demarrage』(Clef Doll, https://linkco.re/yYFF0BbC)
・DeNA, バンダイナムコミュージックライブ(2023)「takt op. 運命は真紅き旋律の街を(タクトオーパス)」(DeNA)
・Lass, 5pb.(2008)「11eyes -罪と罰と贖いの少女-」(Lass)
・lego big morl(2009)「溢れる」(OORONG RECORDS)
・Nanoha。(浅葱ゆな(キャラクターデザイン), なちく(Live2D), 2020, https://x.com/Nano_song708)
・takt op. 運命は真紅き旋律の街を(タクトオーパス)公式サイト>Special>Illustration Novel #10 ダフニスとクロエ「私の信じる未来」(高羽彩 原案, 石原宙 小説, tef イラスト)(https://game.takt-op.jp/special/novel/daphnis-chloe/)
・TwTimez(https://x.com/TwTimez)
・Yoko Onoda(https://x.com/yokoonoda)
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【附録】 「片目は未来を、片目は過去を見る」という言い回しについて検討する

 第6章で、日本における「右目は未来を、左目は過去を見る」という観念は、ごく最近になって海外から新しく取り入れられた――"輸入されたもの"である可能性を指摘した。
 ところで、第2章で「右未左過」の具体例として取り上げた事例2-35(Graffer, 2004)は、怪鳥シムルグの「左目で過去を、右目で未来を見る」という特徴に触れていたが、より古い文献では「片目で過去を、もう片方の目で未来を見る」と説明されていた。このことを踏まえて、シムルグが左目で過去を見て右目で未来を見るという言説は、後世で新たに創作された可能性があると指摘した。
 そこで、寄り道になるが、「片目は未来を、片目は過去を見る(片未片過)」という言説について、日本と海外の具体的な事例を列挙し、簡単に分析しておきたい。収集した事例は、日本語の事例、日本語訳されたもので原語が確認できなかった海外の事例、外国語の事例の順に示す。ただし外国語の事例については、筆者の語学力が未熟であるため、英語による事例に偏っている。
 なお、引用した英文に添えた訳文は、とくにことわりがないかぎり、全て筆者による和訳である。また、適宜、補足の説明を加えた。

(1) 「一方の目で過去から目を離さず、一方の目で新しい方向を目指して生きたことが、結果として時代に耐えうるものを残したといえる」(臼井, 2000, p.207)
(2) 「一つの眼は過去に、もう一つの眼は未来を見ていると言われた恐龍の子孫のような灰色の陸イグアナ」(米谷, 1994)
(3) 「われわれは、一方の眼で過去を振り返えり見て、自分が何者であったかを問い、もう一方の眼で未来を見遙かして、自分が何者であろうとするかを問おうとする」(秋山, 1978)
(4) 「われわれのこの一つの眼は、過去に向けられ、そこに何が存在し、どんな現実、あるいは行動があり、われわれがいかなるものであるかを厳密に見出そうとするが、しかし、もう一つの眼は、未来へ向けられ、私とは何かと問い、この問いの連続のなかに己れの生存の意味を追求し、かくて新しい現実の中へ方途もなく一歩を踏み出そうとするものでもあるのだ」(秋山, 1968)
(5) 「――様、或人々は片眼を過去に、片眼を未来に向け、現在に少しも眼を注いでゐない様でございます」(田川, 1944)
(6) 「片方の目を過去へ、もう片方の目を未来へと見開いたフォークロリック・フュージョン」(長嶺, 2000)〔Quetzal Floresが率いる米国のバンドQuetzalについての、海外での評価〕
(7) 「イアン・フレミングは新しいヒーローを作り出し、片方の目を未来に向け、そしてもう一つの目で過去の文学に敬意を表しながら、スパイ小説のパラメーターを再定義したのである」(チャップマン 文, 熊井 訳, 1999)〔英国の作家Ian L. Flemingは、「ジェームズ・ボンド」シリーズで知られる〕
(8) 「おれは片方の目で過去を見て、片方の目で未来を見ている」(小野島(インタビュー), 増田(文), 1994)〔米国のミュージシャンDavid Lee Rothの、インタビューでの発言〕
(9) 「一方の目を彼の辿ってきた伝統とルーツと、そしてメロディーの純粋美の追求にむき、またもう一方の目で未来を見つめていた」(Bouchard, 1982)〔米国のジャズミュージシャンMiles Davisについての説明。「伝統とルーツ」を「過去」と読み替えて、「片未片過」として扱う〕
(10) 「人民派に属する人間は、小ブルジョアとして一方の眼で過去を、他方の眼で未来を視てゐる」(河村, 1928, p.79)
(11) 「法律が、片目は過去について、もう片目は未来について絶えず注視するならば、信頼の源泉を枯らし、いつまでも続く不正義・混乱・無秩序の根源となってしまうのであって、そのように法律が二つの顔を持つという考えは、我々のものなどではない」(斉藤, 2015, p.167)〔法律の不遡及原則について定めた仏国民法典第2条にかかる、ポルタリスによる趣旨説明(Fenet, 1836)〕
(12) 「光の治世は近づいて来ます。一方の眼を過去に注ぎ、もう一方の眼を未来に注いでいる知的な人は、誰でもがそれを確信しています」(シモン(1802) 著, 大塚 訳, 1948, p.62)
(13) 「capable of peering into the past with one eye, and for others to look to the future(片目で過去を覗き込み、もう片方で未来を見ることができる)」(Besedovsky, 2024)〔シムルグについての説明〕
(14) 「Bird is playing out this transitional period, with one eye on a glorious past in the game and the other on the future.(バードは、片目で試合での輝かしい過去を見て、もう片方で未来を見ながら、この過渡期を乗り切っている)」(Hartford Courant, 2022, p.4)〔米国のバスケットボール選手Sue Birdについての記事〕
(15) 「one eye on the future, while keeping the other on the past.(片目は未来を見て、そのときもう片方は過去を見つめていた)」(Campbell, 2015, p.154)
(16) 「With one eye on the past, she declared that their relationship had not been dishonourable (that is sexual); with the other eye on the future, she called for Dudley to be named protector of the realm in the event of her death, until a new monarch was instated.(彼女は、片目で過去を見ながら、自分たちの関係は不名誉なものではなかった(つまり性的なものではなかった)と宣言し、もう片方の目で未来を見ながら、自分が死んだあと新たな君主が即位するまで、ダドリーを王国の守護者に任命するよう求めた)」(Doran, 2015, p.125)〔英国女王エリザベス1世は天然痘にかかったとき、寵臣ダドリーをめぐる人事について、このように要請した〕
(17) 「The eyes are two windows. One sees the past, the other sees the future.(両目はふたつの窓だ。ひとつは過去を見て、もうひとつは未来を見る)」(Lucke, 2007, p.236)
(18) 「The raven keeps one eye on the future, yet one eye on the past, so his journey is always straight.(カラスは片目で未来を、もう片方の目で過去を見ている、だからまっすぐ飛べるんだ∗1)」(Kane, 2007, p.170)〔映画「Dreamkeeper」(Barron(director), 2003)の登場人物Pete Chasing Horseの台詞〕
(19) 「Like the chameleon, a prudent person keeps one eye on the future and the other eye on the past.(慎重な人間は、カメレオンのように片目で未来を、もう片方の目で過去を見る)」(Lanting photo. & Eckstrom ed., 2005, p.244) 〔マダガスカルのことわざ〕
(20) 「Trust looks toward the future with one eye while the other sees the past.(信頼とは、片目で未来を見ながら、もう片方で過去を見ることである)」(Haberman, 2003, p.126)
(21) 「One eye on the past, the other on the future as you walk the balance beam of life.(人生の平均台を歩くときは、片目で過去を見て、もう片方で未来を見なさい)」(Lammey, 2002, pp.90-91)〔タロットのワンド3についての解釈〕
(22) 「Leaders engage others with one eye on the past and present and their other eye on the future.(指導者は、片目で過去と現在を、片目で未来を見ながら、他者と関わっていく)」(Staub, 2002, p.11)
(23) 「looks to the future with one eye and glances at the past with the other.(片目で未来を見て、もう片方で過去を眺める)」(Hauff, 2001, p.251)
(24) 「Be like a chameleon― keep one eye on the past and the other on the future.(カメレオンのように――片目で過去を見て、もう片方で未来を見なさい)」(Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania, 2000, p.255)〔マダガスカルのことわざ〕
(25) 「A folktale is like chameleon-- it unfolds with one eye on the past and the other eye on the future.(民話とはカメレオンのようなものだ――片目で過去を、もう片方の目で未来を見ながら展開していく)」(McElroy, 1999, p.18)
(26) 「While it fixes one eye on the past, it has resolutely trained the other on the future.(片目を過去に向けて見据えながら、毅然としてもう片方を未来に向けてきた)」(Highsmith & Landphair, 1994, p.12)〔図書館の運営の在り方についての説明〕
(27) 「One Eye On The Future, One Eye On The Past(片目は未来を見て、片目は過去を見る)」(Rossy, 1992)〔楽曲アルバムのタイトル〕
(28) 「Be like the chameleon— keep one eye on the past and one on the future.(カメレオンのように――片目で過去を見て、片目で未来を見なさい)」〔マダガスカルのことわざ〕(Orman, 1991, p.207)
(29) 「Be like the chameleon― keep one eye on the past and one eye on the future.(カメレオンのように――片目で過去を見て、片目で未来を見なさい)」(Jolly, 1987)〔マダガスカルのことわざ〕
(30) 「Don't be like the chameleon which keeps one eye on the future and one on the past.(片目で未来を、片目で過去を見るカメレオンのようになってはならない)」(Jolly, A, 1980, p.17)
(31) 「the world’s navies concentrated on battleships and aircraft carriers, with one eye on the past, as it were, and the other on the future.(世界の海軍は、いわば片目で過去を見て、もう片方で未来を見ながら、戦艦と空母に集中していた)」(Kemp, 1980, p.127)
(32) 「the great white bird of Solomon, regarding― like me― the past with one eye and seeking the future with the other.(ソロモンの偉大な白い鳥は、片目で――私のように――過去を見つめ、もう片方で未来を探し求めている)」(Sulzberger, 1973, p.65)
(33) 「with one eye sees the past and with the other the future.(一つの眼は過去を、もう一つの眼は未来を見てゐる)」(Nansen(1929), Wheeler, 1931, p.37, 西, 1942, pp.35-36)〔シムルグについての説明〕
(34) 「one eye on the past, the other on the future.(片目で過去を睨み、片目で将来を睨んでゐた)」(Wodehouse, 1914, p.10, 長谷川 訳, 1940, p.4)〔小説「The White Hope」の登場人物ポーター夫人についての説明〕
(35) 「On the morning of January 1st, 2001, a man with one eye on 1901 and the other on 2101 contrasted these two periods of time,(2001年1月1日の朝、片目で1901年を見て、もう片方で2101年を見る男が、これら二つの時代を比較した)」(Collins, 1907)
(36) 「The person who attempts to keep one eye on the past and the other eye on the future will run cross-eyed.(片目で過去を、もう片方の目で未来を見ようとする人は、斜視になるだろう」(WASP, 1895, p.16)
(37) 「overlooking the past with one eye, and the future with the other.(片目で過去を、もう片方で未来を見通す)」(Morell, 1854, p.52)〔シムルグについての説明〕
(38) 「with one eye on the Future, the other on the Past,(片目で未来を見て、もう片方で過去を見て、)」(Students of Yale College, 1851, p.21)
(39~76) 「one eye on the past and the other on the future(片目は過去を見て、もう片方は未来を見る)」(Peter, 2020)(Chris, 2016)(Dixon(2016), Giddens, 2016)(Fergusson, 2016, p.142)(Stevens, 2015, p.112)(Lurie, 2012, p.143)(Green, 2011, p.42)(Theo, 2010, p.236)(Blatterer, 2009, p.8)(Foulsham, 2009, p.62)(Markman, Klein & Suhr, 2009, p.377)(Packwood, 2009, p.54)(Bottger, 2008, p.165)(Veiga, 2008, p.13)(Foottit, 2006, p.107)(Miller, 2006, p.278)(Nishitani, 2006, p.3)(Becker, 2000, p.103)(Penfield, 1997, p.8)(Fisher & Karger, 1997, p.182)(王(1996), Berry & Egan, 2008, p.310)(Chait, 1992, p.26)(Kluckner, 1989, p.7)(Bruner, 1986)(Mclnnis, 1979, p.1)(Shaw, 1978, p.6)(University of Lowell, 1977, p.9)(Belew, 1973, p.86)(Henrey, 1969, p.146)(Anene & Brown, 1966, p.229)(Doe, 1955, p.98)(Robinson, 1953)(Reed, 1950)(Winter, 1936, p.104)(Parry, 1932)(Considine, 1931, p.3)(Hart, 1925)(Collins, 1907)
(77~79) 「one eye on the past, the other on the future」(Grady, 2016, p.111)(Hawk, 2014, p.133)(Appleton Post Crescent, 1964)
(80~82) 「one eye on the past and the other eye on the future」(Bosma, 2012, p.148)(Broholm & Johnson, 1993, p.11)(Dixon, 1964)
(83~91) 「one eye on the future and the other on the past」(Struthers, 2004, p.69)(Earle, 2003, p.50)(Roberts, 2003, p.64)(Featherstone & Lash, 1999, p.148)(Fraser, Soulsby & Argyros, 1998, p.116)(Devine & Jackson, 1994, p.260)(Maximum Rocknroll, 1984, p.4)(Mikkelsen, 1934, p.39)(Moreland, 1929, p.160)
(92~107) 「one eye on the past and one eye on the future」(Classen, 2022)(Soler, 2014)(Reamy, 2009, p.80)(Scott, 2009, p.80)(Bishop Fenwick High School, 2007, p.54)(Butler, 2006, p.26, p.173)(Mordam Records, 2004, p.18)(Ellison, 2002, p.114)(Josey & DeLoach, 1999, p.11)(Desjardins, 1998)(Cox & Rock, 1997, p.119)(Corlett & Moore, 1980, p.50)(Alterman, 1974)(Texas Highway Department, 1963, p.13)(Leach, 1956, p.38)(American Horticultural Society, 1947, p.123)
(108~112) 「one eye on the past, one eye on the future」(Briger, 2016, p.213)(Inman, 2013, p.24)(Levine & Jawer, 2008, p.290)(Editor & Publisher, 2000.9, p.30)(Troxell & Farris, 1998)
(113~122) 「one eye on the future and one eye on the past」(Ryscavage, 2013, p.19)(Shvarts & Shehory-Rubin, 2012, p.15)(Matthias, 2011, p.316)(Murphy, 2010, p.44)(Stewart, 2007, p.11)(Steward, 2005, p.91)(Maier, 2003, p.169)(Matthias, 1992, p.27)(McDowall, 1987, p.117)(Tyson, 1983, p.70)
(123~125) 「one eye on the future, one eye on the past」(Peter Whitehead, 2001)(Benz, 2000)(Hoover, 1956)
(126~128) 「an eye on the past and an eye on the future」(Hunt, 1964, p.123)(Strobel, 1922, p.83)( American Philosophical Society, 1893, p.40)
(129) 「an eye on the past, an eye on the future」(Hollis, 1974, p.108)
(130~131) 「an eye on the future and an eye on the past」(Lynch, 1997, p.147)(Mottram, 1956, p.69)
(132) 「an eye on the future, an eye on the past」(Currie, 2010, p.83)

 以上が、筆者の収集した「片未片過」に触れている132例である。このうち日本語の事例は5例(1~5)、和訳されたもので原語が確認できなかった海外の事例は7例(6~12)、外国語の事例は120例(13~132)である。

 外国語の事例について、筆者がとくに注目したい点はふたつある。
 ひとつめは、『The Heart is a Lonely Hunter(心は孤独な狩人)』(McCullers, 1940)よりも古い、1939年以前に発表されている事例が17例(事例10~11、33~38、72~76、90~91、127~128)にのぼることである。このうち事例34(Wodehouse, 1914)、35(Collins, 1907)、38(Students of Yale College, 1851)は、『心は孤独な狩人』と同じく小説という媒体である。
 とくに事例34の「The White Hope」(Wodehouse, 1914)は、1919年に『Their Mutual Child』、1920年に『The Coming of Bill』へと改題しながら出版されつづけ、同年には無声映画「Their Mutual Child」(Cox(director), 1920)として公開されたほどに著名な作品である。∗2

 ふたつめの注目点は、海外では「片未片過」を表現する様々な言い回しがあるなかで、大半の事例が、基本的な文章構造が共通していることである。
 たとえば事例19、24~25、28~30は、すべてカメレオンにまつわるマダガスカルのことわざを扱っているが、言い回しが少しずつ異なっている。
 事例29「one eye on the past and one eye on the future」の後段の「one eye」を「the other eye」に置き換えたのが、事例25「one eye on the past and the other eye on the future」である。さらに事例25の「past」と「future」の前後を入れ替えたのが、事例19「one eye on the future and the other eye on the past」である。
 また、事例25の「the other eye」を、より単純な「the other」としたのが、事例24「one eye on the past and the other on the future」である。
 また、事例29の後段の「one eye」を、より単純な「one」としたのが、事例28「one eye on the past and one on the future」である。さらに事例28の「past」と「future」の前後を入れ替えたのが、事例30「one eye on the future and one on the past」である。
 このように単語を置き換えたり、単純化したり、前後を入れ替えたり、他にも「and」を「,」に置き換えるなど、「言っている内容は同じだが、言い回しが少しだけ違う」という表現が散見される。

 この「言っている内容は同じだが、言い回しが少しだけ違う表現」の具体例を集計し、分析してみた。
(I) 「one eye on the past and the other on the future」、「one eye on the past and the other eye on the future」または「one eye on the past, the other on the future」という言い回しは49例(21、24~25、34、36、39~82)あり、外国語の事例120例のうち40.8%を占めている。
(II) 「one eye on the future and the other on the past」、「one eye on the future and the other eye on the past」または「one eye on the future, the other on the past」という言い回しは11例(19、38、83~91)あり、外国語の事例の9.2%を占める。
(III) 「one eye on the past and one on the future」、「one eye on the past and one eye on the future」または「one eye on the past, one eye on the future」の言い回しは23例(28~29、92~112)あり、19.2%を占める。
(IV) 「one eye on the future and one on the past」、「one eye on the future and one eye on the past」または「one eye on the future, one eye on the past」という言い回しは15例(27、30、113~125)あり、12.5%を占める。
 基本的な文章構造が共通しているこれらの表現(I~IV)は98例あり、外国語の事例の81.7%を占める。さらに「one eye」を「an eye」に置き換えた言い回しは7例(126~132)あり、これらも含めると合計105例で、87.5%を占めることになる。
 こうしたことから、海外では「one eye on the past and the other on the future」と、これに似た言い回しが、「片未片過」を表現する、ある種の決まり文句として定着していると考えられる。
 なお、「one eye」を「the right eye」や「the left eye」に置き換えた「the right eye on the future and the left eye on the past」のような表現を用いている著作物は、管見の限り見当たらなかった。

 第1章および第2章で確認したとおり、海外では「右未左過」が優勢であった。また、第3章からくりかえし述べているとおり、欧米においては、右目は太陽と未来の伝統的なシンボルであり、左目は月と過去の一般的なイメージとされている。しかしながら、それぞれの具体的な著作物の事例は8例(2-30~37)と少なかった。一方、海外における「片未片過」の事例は127例と、豊富である。このことを踏まえると、海外では、左右の目のどちらが未来を見て、どちらが過去を見るかを特定しない「片未片過」という表現の方が、より古くから、広く受け入れられていると考えることができる。
 他方、日本国内における「片未片過」の事例はわずか5例だったのに対して、「右未左過」や「右過左未」の事例は24例(2-1~22、28~29)にのぼる。このことから、日本では、左右の目のどちらが未来を見て、どちらが過去を見るかを明確にしようとする傾向が強いといえそうである∗3

1. 訳文は、久保(2021.8.15 am5:15, https://x.com/amorrisonk/status/1426638704601276417)(2024.6.17閲覧)を参考にした。
2. なお、事例35の「The World Two Hundred Years from To-Day」(Collins, 1907)は、より古い事例であるが、収録されている「Millsaps Collegian」は、あくまでミルサップス大学の学生や卒業生の有志による雑誌であり、発行数も読者層も限定的であると考えられる。また、事例38の「A Day-Dream among the Hills」(Students of Yale College, 1851)はさらに古く、McCullers(1940)よりも90年近くさかのぼるが、こちらが掲載されている「The Yale Literary Magazine」も、イェール大学の寮生による雑誌であり、事例33と同じく発行数も読者層も限定的であると考えられる。
3. 「片未片過」の他に、「片目は過去を、片目は現在を見る(片過片現)」や「片目は未来を、片目は現在を見る(片未片現)」という事例もある。参考として、いくつか例を挙げておく。
(1) 「私どもの年代は、だれでも多少いろんな目にあっていますね。……ただ年をとりますとね、過去ばっかりお詠みなる方があるのね。……片方の目で過去を見たら、片方の目で現在を……もう一つ、物書きは真ん中の目をもってちょうだいっていうの。両方を見渡して真ん中の目がないと冷静さがなくなりますよね。――(朝日新聞1994.6.13夕刊)」(道浦, 1994)
(2) 「それらの女性像は、片方の目で過去を見つめ、もう片方の目で、今をしっかりと見据えている」(平林, 1987)
(3) 「シャープの一つの眼は未来をめざしています」「シャープの一つの眼は現在をみつめています」(植条, 1966, p.45)〔早川電機(現シャープ)の広告コピー〕
(4) 「But as President, I always have to keep one eye on the future and one eye on the present and try to balance the needs in a proper way.(しかし大統領として、私は常に片目で未来を、片目で現在を見つづけ、適切な方法でニーズのバランスを取るように努力しなければなりません)」「Weekly Compilation of Presidential Documents, 1994.3.7, p.394)〔1994.2.28、カントリークラブヒルズでの会見質疑における、クリントン米国大統領の発言〕
(5) 「Historians write with one eye on the past and the other on the preoccupations of the present.(歴史家達は一方の眼で過去の人々を眺め、他方の眼で現在の人々の偏見を眺めつつ筆を執ってゐる)」(Hamerton, 1901, p.66, 清水, https://dl.ndl.go.jp/pid/1184099, 43コマ, 2024.6.26閲覧)