イペタムと水神の話〔上川郡上川町の伝説〕
往昔、上川アイヌの酋長の家に古い煤ぼけたキナ包〔キナは植物のガマのこと∗1〕∗2がルルンブヤラ(神の出入する窓)に吊り下げられてゐたが、代々先祖から「此キナ包みの名刀はどんなに古くなっても決して開いて見る事がならない」と其酋長の家訓として遺言されてあった。
何時の頃であったが判らないが、或酋長の時代になった。ルルンブヤラに吊り下げられた煤けた此包から、眼を射るやうな妖光が放って眼も眩らむばかりとなった。酋長は非常に不思議に思ったが、此の夜から非常に奇怪なる現象が此酋長のコタン〔村〕∗2に起った。毎夜此ルルンブヤラの煤けた包の妖光は部落の家を襲ふた。妖光が部落の方に走り去った時には、不思議にも酋長の家には其眼も眩むやうな妖光が見られなかったが、其妖光の這入った家の者は、妙に鋭い刃物で切り下げられた様な傷口を負ふて死んでしまふのであった。それが毎夜々々続いて来ると、村人アイヌ達は非常な恐怖を持ち始め、何んとかして其難から逃れ度いと思った。
酋長は非常な驚きと恐怖から、これを山ヘ投げた。然し酋長が家に戻る迄には、ちゃんともう戻ってしまってゐた。こうして其酋長は後から後から土に埋めたり川に棄てたりしたのであったが、其度毎に何時も包は何時の間にか自宅に戻って来てしまってゐた。詮方つきて石狩川の深い川底に沈めたが、矢張何時の間か酋長の帰り着かぬ先きに此キナ包は戻ってしまってゐた。
さうして村人が其妖光に依り蒙むる難儀は、愈々多くなって行った。酋長を始め村人達は幾回となく会合して、如何にして此難儀から逃れ出でるベく集談協議したが、依然妖光より起る惨劇は一日と一日と加はり、酋長は途方にくれてしまった。
所が或夜のこと、神様が現はれて「お前等人の力でいくら騒いでも何んとしても免がれる事が出来ない。ホトイパウシ〔呼ぶ丘∗3または呼ぶ場所の意。洪水にあったアイヌがこの丘の崖上に避難したという伝説がある∗4〕∗2下に沼があり、これに切り立ってゐる巨岩があるから、これに祭壇を作って祭って一生懸命祈ったならば、この離儀より免れる効験が見出される」といふお告げがあった。酋長は其お告げにより忠別太附近を探し歩るくと、果して神告の如きホトイパウシ下の巨岩及び沼が発見されたのであった。
酋長は此旨を報じ、村人全部と巨岩の上に崇厳なる祭壇を作った。将に村人達の熱誠な祈願は始められた。その時不思議や、巨岩は焔々たる炎を挙げて両方に裂け、何処からともなくエコノンノ〔エゾイタチ∗5〕∗2が現はれて、咬はヘて来たクルミをアタムトウ(底なし沼)にぽつんと落した。所が不思議にも今迄、鏡のやうに澄み渡ってゐた水面が、急に風もないのに小波をたてて来た。
此時、酋長は何か神がかりにでもかかった様に其処に行き、包の中の明皎たる妖剣を捧げて「こういふ事が長く続いたら、我々アイヌ民族は滅亡してしまふより外がないから、ウタリ(同族)の為めに、此魔刀を水神であるあなたにあづけるから、どうか我々を救って下さい。若しも此願を聞き入れてくれるならば、今風もないのに立ってる此小波が消えるといふ事は妖刀の魔力の消滅したといふことを誓って下さい」と高く声を上げて祈り、同時に其手に捧げた魔刀を投じた。その波紋と同時に、不思議にも小波は静まってしまった。
気がついて見ると、小波と思ったのは何百とも知れぬ小蛇が蠢々としてゐたのであったが、此後ふっつりとあの長年悩まされた村人の難がなくなったのである。村人達は、小蛇は水神の使で、先きに現はれたエコンノンノは山の神の使であったんだなと話し合ったといふことである。
〔『傳説の旭川及其附近』54-58頁〕
神居村の
昔、上川アイヌの酋長の家に、蒲で織った
ところが或る時のこと、この包の中から眼を射るような妖光がさし、それを見ると目が眩んだ。そればかりでなく、この光は夜になると部落の方ヘ尾を曳いて飛んで行き、部落の家々を襲った。襲われた家の者は、鋭い刃物で見事に切られて死んでしまう。という不思議な事件が起き、部落を恐怖に陥れた。
酋長は驚いて、この刀の包を山の奥に持って行って投げたが、酋長が家に戻らない先に、捨てて来たはずの刀が家に戻っていた。それでこんどは土に埋めてみたが矢張駄目で、川に棄てた。それでも効きめがなく妖刀は戻って来るので、石狩川の一番深い渕に沈めてみたが矢張駄目であった。そればかりでなく、部落の人がこの妖しい光のために受ける被害が、いよいよ多くなるばかりであった。
困り果てている或る夜、神様が現われて「この難から免がれるためには、ホトイパウシの下にアサムトオという底なしの沼があり、そのほとりに切り立った巨岩があるから、これに祭壇をつくって祈るとよい」と告げられた。
そこで忠別川の川口あたりを探して歩いたところ、ホトイパウシ下の沼と巨岩が見つかったので、そこヘ
この妖刀を投げ入れるために祭壇をつくつたところの岩を、エペタムシュマ(人を食う刀の岩)といい、現在神居村台場ヶ原と忠別太の境(伊能駅と近文駅の中間、石狩川向い)にある刀の形をした大岩である。(近江正一「伝説の旭川及びその附近」〕
〔『北海道伝説集 アイヌ篇』258-260頁〕
〔旭川市近文町の伝説〕
又、或る老人が二振のエペタム(人を食う刀)を持っていたが、少しでも物を食ベさせないでおくと、独りで抜け出したり刺さったりして騒ぐので、いつも刀を入れた函の中に石を六本ずつ入れておくと、夜になると「キリキリ、キリキリ」と音をたてて、一ヶ月くらいはそれを食っているが、石がなくなると又抜け出したりささったりしてあばれるので、このままにしておいてはいつか自分も食われてしまうかもしれないと思って、何でも投げ入れれば絶対あがらないという、
〔『北海道伝説集 アイヌ篇』260頁〕
〔旭川市神居町台場の伝説〕
神居村台場ケ原の一端が突出して断崖をなし忠別太と境する附近の崖上は、和名・立岩、アイヌ語・カムイ岩又はイペタムシュマと称する所であるが、此のイペタムシュマ(怖ろしい刀の岩)及び同所ホトイバウシ(呼ぶ場所)には、神秘的な伝説が遺されてゐる〔中略〕。イペタムシュマの伝説に必らず出てくるのはその直下にあるアタムトウ(底なし沼)である。
昔、此附近に住んでゐたアイヌの中に非常に切れ味のよい妖刀を所持する者が居たが、この妖刀は此を帯ぶ者の心に宿って多くの同族を殺害させた。血を見なければ納まらぬとふ強い執念を此刀が持って居た。だから此の刀の持主であるアイヌは、非常に恐怖を感じてこれを奥深い山の中に捨てた。......が然し、其の刀は何時の間にか其アイヌの許に戻って来て、夜になると「斬れ斬れ」と叫んだ。アイヌは更に恐怖を増して土中に埋めたり河中に投じたりしたが依然として何時の間にか手許に帰って来るのであつた。色々考ヘた揚句、最後に巌下のアタム沼に投じたのであるが、不思議にも此の妖刀は夫れ以来姿を見せなかった。
部落のアイヌ達は「はてもなく深い沼だから、名刀も姿を見せなくなつたのだらう」と噂するやうになり、此の沼を底なし沼と呼ぶやうになつたといふ。この不思議から恐ろしい刀の岩即ちイペタムシュマ或は岩下の沼に投じたのだから神の居る岩即ちカモイ岩と称するやうになったのである。
〔『傳説の旭川及其附近』19-20頁〕
〔旭川市の伝説〕
「イペタム」(Ipe-tam 物を食う・刀)。ここに刀剣の形をした二個の岩が立っている。昔、アイヌの家にイペタムと称する妖刀が二本あって種々の害をなしたので、ここにあった底無し沼ヘ持って行って捨てたのが岩に化したのだという。
〔『旭川市史 第4巻』487頁〕
底なしの沼〔樺戸郡新十津川町の伝説〕
滝川の石狩川向い、新十津川町の橋本町から西徳富よりに玉置神社という神社があり、その傍にある沼は、昔、
人喰刀は宝物を納めておく箱に入れ、一緒に石を入れておくと、いつもカリカリと石を噛っているが、噛るものがなくなると、箱を飛び出して人間に襲いかかり、今まで何でもなかった人が殺されたりするので、部落ではそれを石狩川にもって行って渕に沈めてみたり、山ヘ待って行って捨てたりしてみたが、直ぐに戻ってくるので、最後にこの沼に沈めたところ、それきり戻って来ないので、この沼には底がないのだろうといわれた。(新十津川町泥川・空知保老伝)
〔『アイヌ伝説集』152頁〕
その昔、強くて狂暴な十勝アイヌの群がヒトマイ(十勝清水)を経て日高国内に入り込み、道筋のチロロ(千栄)ウシヤップ(日高)のコタンを襲い宝物を掠奪したり人の首を狙ったりしながら、なおも暴威を揮って進もうとした。トバッツミ(Topat-tumi)――宝物を狙う群盗――と称し、沙流川一帯の住民は震え
この掠奪群の一団が沙流川を下り、たまたま幌去村字オタレオマツプ(現在の岩知志駅逓の下方)のヤオチ(野地)にあったアイヌのチャシ〔砦〕∗2を狙った。
この時コタンの人たちは皆猟に出ていて、老婆が一人留守を守っていた。老婆は大層落付いた人で、機転をきかし傍にあった目釘のゆるんだ鉈を「カタカタ」と振ったので、その音をきいた十勝アイヌ共は、今までの元気もどこヘやら俄かに蒼くなってあわて逃げた。それはこの砦に古くからあるエペタム(Epe-tam)〔註「物を喰う刀」の意で、トント(Tonto)と称する長さ六尋程の細い革とともに箱に入れて置けば、カタカタと音をたてながらトントを喰っているが、時には抜けでて人の頭も切るとてアイヌが最も怖れていた妖刀〕が抜けだして、追いかけてくる音だと思ったのである。
十勝アイヌ群が逃げた所ヘちょうどコタンの男たちが帰って来たので、そのまま追いかけオワイタカリプ(Ou-aitakarip)〔註、後ろから矢で射る意〕で、ぶし矢〔やじりにトリカブトの毒を塗った矢〕∗2を浴びせたが、矢に命中した敵はみなふらふらと斃れてしまった。そこをルエップキと称したが「足が狂う――よろける」という意味といわれる。それからは群盗の掠奪侵害はなくなったが、恐怖の念は今なお伝え残っている。
その後エペタムは余り危険なので幌去村字タンネサラ(長い湿地の意、現在の荷負)のチエスト(浮島のある底なし沼)に捨ててしまったと伝えられている。(平取外八ヶ村誌)
〔『日高村五拾年史』54頁〕
穂別の人喰刀〔勇払郡むかわ町穂別の伝説〕
昔、穂別の今の中学校附近にペップトコタンという大きな部落があって、ここには怖ろしいエペタムが秘蔵されていて、夜盗の群がここを襲ったりする時、この刀を出して祈願すると刀はひとりでに飛び出して暴れまわり、何百人もの夜盗を追払うを常とした。
しかしこの人喰刀が暫く人を斬ることがないと、納まってる箱の中でカッタカッタと音をたてて暴れ出す。そうした場合に止める方法はあるのだが、老人達が死んでしまって若い者だけになった場合、もし止める方法を知らないととんでもない危険が起るかも知れないというので、老人達が心配して刀を山に持って行って捨てることにした。しかしどんな山奥ヘ捨てて来ても、人より早く戻ってくる。困って今度は川に捨てることにしたが、やはり駄目だった。それでさらに協議し、底なし沼に捨てることにして実行したところ、それっきり刀は戻って来なくなった。
ところが間もなく群盗に襲われたが、今更悔いても致方なく、一人の老人が一策を案じ山刀の目釘を抜いて振ったところ、エペタムのようにカッタカッタと音をたてたので、その音をきいた夜盗群は色を失って逃げ去った。それきりここヘは来なくなったという。(知里真志保輯、北海道の伝説所載)
〔『日高村五拾年史』55-56頁〕∗3
コタンの妖刀〔沙流郡の伝説〕
トパットゥミとは沙流以外のたとえば十勝とか石狩とかのひとつの大きな部族が、一族を引連れて攻め寄せ、ねらいをつけたコタンに焼討ちをかけ皆殺しにして、そのコタンを占領し住みついたり、または宝物をうばい取り、ピリカメノコ(美人)がいると連去ったり、いわばこれは、アイヌ間の戦争であった。だからアイヌたちはこの戦争にそなえて、各地にチャシ(とりで)を築いて常時見張りを続けたとのことである。女や子供を連れているということは、多分うばい取った宝物やその他の物を運搬するのに、一人でも多くを必要としたからだと思われる。
お婆さんは、コタンには何十匹という狩猟に使う犬がいるのに、吠える犬が一匹もいないことに吠える犬が一匹もいないことに気づき、不思議に思った。これは、トパットゥミ隊の呪文の言葉により、コタンのアイヌたちや犬どもが睡魔におそわれて、寝込んでしまったのである。
お婆さんはそばに寝ている孫を静かにゆり起こした。そうして「大変だ。お前にいつも話して聞かせていただろう。トパットゥミ隊が攻めて来たんだよ。静かにチセ〔家〕∗2から出て、奴らに気づかれないようにしてオッテナ(コタンの長)のところヘ知らせに行け。お前も男の子だから勇気をだすんだ。早く行け」と。……常日頃、お婆さんに一人前のアイヌになるために教育されていた孫は、少年ながら利口者であった。お婆さんのただならぬ様子に急を悟り、裏口からいそいで外ヘ飛びだした。そして雪の上をはうようにして、コタンの中央あたりのオッテナのポロチセヘ走り、寝込んでいるオッテナや家族たちにトパットゥミ隊が攻め寄せて来たことを報告した。
そうしてオッテナの指示により、トパットゥミ隊に気づかれないように注意しながら、次々とコタンの人たち全員に連絡した。
昔のウエペケレやユーカラ〔民話や叙事詩〕∗2によると、トパットゥミ隊がひとつの大きなコタンを攻めるのは、たいていの場合、夜中頃だとなっている。その攻め寄せて来る情景を、アイヌ語で語ると「ラムコンニタイリヤリヤペコロ、リコン、ニタイラマラマペコロ、アヌカル」。これを和訳すると、「低い灌木林が高く高くなったように、高い灌木林が低く低くなったように私は見た」――つまり、人間を灌木にみたてて、立ったりしゃがんだりしながら秘かにうごめいて攻めよせる様子の印象である。
そうして、トパットゥミの中で一番呪文の巧みな者が、ウエンイタツ(わざわいを招くお祈り)、すなわちウエンカムイ(悪い神)にカムイノミ(お祈り)を行なうと、赤い血の色のような火の玉がトパットゥミの側から飛び出て、コタンの上空ヘ舞いあがり、上空をぐるぐるまわる。その火の玉がトパットゥミ隊の方ヘ飛んで帰って来る頃には、コタンの人も犬も呪文にかかり、睡魔におそわれて眠り込んでしまうのである。いつものトパットゥミ隊であったら、このすきをのがさず次から次ヘと、眠り込んでいる人々の喉笛を切り、皆殺しにしたうえ宝物をうばい取り、そのあと、コタン全部のチセに火をつけて焼払うということである。
この話の場合は、さいわいお婆さん一人だけが寝ていなかったので、コタン全員に知らせることができたのである。お婆さんは、孫がオッテナのところヘ着いたと思う頃、静かに火の神に祈りの言葉をのベながら、タマクラ(ナタの柄のとめがね)のゆるんでいるなたをとり出して、それを片手にもち上下に上げ下げした。タマクラのゆるんでいるなたは、カタカタと音をたてはじめた。トパットゥミ隊の連中は、足音を忍ばせて一番先にお婆さんのチセに忍び寄って来たが、いろりの火の消えた暗いチセの中で、お婆さんはなたを上下に振り、なおもカタカタと音を出しているので、トパットゥミの者たちも不審に思った。
トパットゥミ隊の頭目らしい男が近寄って来て、この音を聞いて驚いた。沙流には昔から人斬りで有名なイベタンという刀のあることを聞いていたが、その刀が人を斬る前に、いまのようにカタカタと音をたてるという。これはイベタンにちがいない。これは大変だ。イベタンであれば、われわれひとり残らず殺されてしまうにちがいない。
そくざに頭目らしい男が、大きな声で「ポロサルンアスルアシイペタン、エクノイナフマシナ、ホクレキラヤン、ホクレキラヤン」と、二度三度さけんだ。これを和訳すると「ポロサルのコタンに噂の高い妖刀が来た音がする。早く逃げろ、早く逃げろ」。トパットゥミ隊の仲間に動揺が起こった。人斬りのイベタンに来られたら、皆殺しにされる。それ逃げろと、いっせいに東の方向めざして逃げだした。
ここでイベタンについて少し説明したいと思うが、本州で昔“村正”という妖刀があったという話を聞いたことがある。多分、本州の和人とアイヌとの交易の際に“村正”がポロサルのコタンに入って来たのではないかと想像されるが、刀を使う心得がどんなにない人でも、この刀を抜いたら、必ず人を一人や二人殺してしまう恐しい刀であった。そうしてこの刀は、人を斬る前に必ずカタカタと音をたてた。刀自身が人を斬り血を吸いたいので、自然にカタカタと動きだすとのことである。この話は、トパットゥミ隊も噂で知っていたのである。
気転のきくお婆さんは、とっさにこの刀のことを思い出し、タマクラのゆるんでいるなたを振り、トパットゥミ隊をおどかしたのである。
〔『サルウンクル物語』12-15頁〕
厚別川の砦〔沙流郡門別町(現・日高町)の伝説〕
厚別川の支流ホロカウンナイ川の西に砦址がある。この砦址は釧路から来た
釧路アイヌははじめこの砦を西の方から攻めたが、厚別勢は砦の上に数百本の丸太を用意しておいて、それを投げおろしたので近寄れないので、こんどは東方から攻めようと相談をし、東の方から攻め込んでゆくと厚別軍はもう投げおろす丸太もなく、砦は今にも破られそうになったとき、砦の中の智慧者が目釘の切れた古い山刀を振って、カッタカッタと音をたてると、それをききつけた野盗達は、「この
こうした戦のあったことを知らずに、美宇というところのラメトク(豪傑)という老人が浜から帰って来ると、途中で砦を攻めおとしたトンクスリの連中と出会った。暑い日だったのでトンクスリは大きなフキの葉を一本傘にしていたが、両方で立止まってお互いを観察し、ラメトク老人はトンクスリを見るなり、「この野郎」と思ったが、そしらぬ顔をして挨拶をして油断をさせ、いきなりトンクスリに毒矢を射込むと、さっと身をひるかえして川上の草原に逃げ込むと、そこに一頭の雄鹿がいて、びっくりして逃げ出した。
トンクスリの追手は鹿の逃げたのを、ラメトク老人と感ちがいをして追かけて行く間に、ラメトク老人は悠々と逃げのびてしまった。
トンクスリはラメトク老人の毒矢で死んだので、釧路軍はその屍体を持って元神部のイッカナイ部落に着いたが、腹がヘったので、この部落の庫に稗のあったのを探して、それを炊いて食ベたところ、それは精白されない皮のままだったので、皆腹をいためて死んでしまった。それでこの近くの川をアイヌオプと呼ぶようになった。トンクスリを葬ったのは、今の美宇小中学校のところだ。(門別町受乞・葛野藤一老伝)
〔『アイヌ伝説集』95-97頁〕
性器に強大な魔力があると信ぜられていること〔勇払郡むかわ町穂別の伝説〕
アイヌは性器が特種の神秘的な力をもっていると信じていた。その力とはどんなものであるかというと、これを見る者の目をくらましたり、力を奪ったりするのである。
(中略)
鵡川の上流にあたる穂別村の栄駅と豊田駅との中間にハッタルウシップのチャシコッ(砦趾)と呼ばれている遺跡がある。
昔、附近の部落のポンメノコ(小娘)が、チャシ(砦)の川向うの平地に下りて畑を耕していたところヘ、日高のハイ地方のアイヌのツヌウォシの率いる一隊が、川下の方から攻め上ってきた。あやしい者共の襲来に気のついたポンメノコは、急いでモウル〔肌着〕∗2をまくって前屈みになり、お尻を出してホパラタしながら逃げ出した。日高のアイヌはそれを見たら目がくらんで、小娘の姿を見ることができなくなってしまったが、ややあってチャシに登って行く小娘がちらと見えた。それで日高アイヌはチャシの所在を知って、砦下ヘと攻めよせて来た。
一方、チャシの方では、あいにく男たちが皆山ヘ狩りに出かけてしまって留守だったので、一人の老婆がカマナタ(鎌山刀)の目釘のゆるんでガタガタになったやつを振って、カッタカッタとならしたので、その音を聞いたツヌウォシの一党は「ここには人喰い刀のイペタムはないと聞いていたが、あの音こそ人喰い刀にちがいない」と急におじけついて逃げ出した。その時ツヌウォシ達は着物をまくり、チホッケ(褌)をはずして一物をさらけ出し、ホパラタしながら逃げていった。(河野広道聞書、アイヌ調査資料のうち、穂別村の部より)
〔「性に関するアイヌの習俗」〕
褌をはずした夜盗群〔勇払郡むかわ町穂別栄及び穂別豊田の伝説〕〕
鵡川の上流、穂別町の栄駅と豊田駅の中間頃にハッタルシナイという小川がある。昔この附近で娘達が畑をつくっていると、夜討をかけて部落をかすめ歩く野盗の群が来たので、娘達はびっくりして下着の裾を腰までまくりあげ、川を渡って砦の方に逃げた。それを見た野盗の群は急に目がくらんで、娘達の姿を見ることができなくなったか、娘達が砦の中ヘ正に入ろうとするとき、かろうじてちらりとその姿を見ることができた。
その時、砦の中の男達は皆山狩に出かけて留守であったので、一人の老婆が娘達の知らせで、山刀の目釘を抜いたのを振って、カッタカッタとならしたので、砦の下に押し寄せていた野盗の群はその音をきいて、さては人を食う怪刀エペタムが、吾々を襲うために鳴り出したのだろうと、急におそろしくなって、散を乱して逃げ出したが、先に娘達が下着をまくり上げたら姿が見えなくなったのだから、姿を隠す為に
〔『アイヌ伝説集』62頁〕
エンルムのイペタム(人食い刀)〔様似郡様似町の伝説〕
昔々、エンルムに村おさがチャシを構えていたそうです。この村おさはイペタムというものを持っていました。
イペタムというのは分解すると、イペ = 食ベる、タム = 刀、ということになりますが、この刀は自分の意思を持ち、自ら人間に切りかかり、人を切り殺してしまうという恐ろしい武器だったそうです。このイペタムにまつわる伝説は各地に残されています。
村おさの持っているこのイペタムを奪おうと多くの人が狙っていたそうですが、ある日のこと、このチャシに攻め込んだものがいて、戦いになったそうですが、なかなか勝負がつかず、にらみ合いが続いたそうです。
ところがある朝、村おさがインカルシという、見張り台として使っている一番高い峰に登ってみると海辺川の対岸に大きな鯨が寄りあがっていて、その上空にカモメがたくさん舞い群れていたそうです。
それを見て、エンルムの村おさは大いに喜び、我先と手下たちを連れてそこに駆けつけたそうですが、それは鯨ではなく、砂を盛って作った小山でその上に小さな魚が撒き散らしてあってカモメはその魚ほしさに集まっていたわけです。これは敵の策略で、村おさたちが留守にするのを狙ってやったことでした。
村おさは大変くやしがりましたが、すでにもう遅く、留守のすきにこのイペタムは敵に奪われてしまったということです(以上、菊地岩五郎さん伝承)。
〔「様似アイヌ語教室 第3期」〕
野盗の呪い〔日高郡新ひだか町静内農屋の伝説〕
静内の染退川の支流東川の右岸に、現在三ッ山と呼ばれている小さい瘤山が並んでいて、このかげに地図に出ていないトヨクシナイという小沢があるが、この沢に生えたフキは食っていけないし、この沢の柳では
昔、ポヨという沢に老人夫婦が住んでいたところヘ、十勝から野盗の群が川を伝って来たので、老人は目釘の切れた山刀を振って、カッタラ、カッタラと音をたてて踊ったので、
若者は山に迷って来たような顔をして部落に入ったので、部落では何処から来たかわからない若者をためしてやろうと、酒を飲まして歓待し、どしどしと酒をのましてから歌をうたえというと、若者は「ふところに刀のあるの知らないな」と歌って踊ったので、こいつあやしい奴だと皆で押えつけてせめつけ、十勝から来た野盗だとわかったので、皆がトモクシナイに行ってみると、野盗達はまだぐっすりとねむっていたので、皆殺にしたが、それ以来この沢の草も木も野盗の呪いのかかったものとして、食ったり使ったりしなくなったのだ。知らずにフキを食ベると、ひどい腹痛を起すそうだ。(静内町農屋 一橋要吉老談)
〔『アイヌ伝説集』112-113頁〕
英傑シャシャイン〔日高郡新ひだか町東静内の伝説〕
シャクシャインはサンクスアイヌともトンクスリともいい、弟はリックスアイヌといって、これはトンキヤマともいう。十勝であばれまわったあと、国境を越えて静内の川上にくだり、農屋や豊畑にいたが、段々川口の方ヘおりて来て、いつも刀をふところにかくしていて、酒に酔うと「人喰刀おれの懐にしまってあるの知らないか」といって踊ったという。
私の祖先はもとポロサル(大きな湿原)というところにいたが、兄弟三人が氷の上を漁に出かけたとき、こばむ者があってあらしを起こされ、氷に乗ったまま流され沙流川口に漂着して、国に戻ろうとして静内の方に向い、一番兄は春立に落付き、下の弟が浦河まで行き、真中の私の先祖が波恵に住みついた、だからシャクシャインとは仇同志だ。(東静内・佐々木太郎老伝)
〔『アイヌ伝説集』102-103頁〕
網走海岸および網走川岸のペシュイ〔網走市二ツ岩の伝説〕
網走川の川口から海岸伝いに北ヘ行くと、二つ岩というのがあり、そこの海岸にペシュイと呼ばれる洞窟がある。この洞窟を入って行くと、途中で道が左右に分れていて、左の道をたどれば網走市内の大曲から網走川を渡った対岸の崖にある、これもペシュイの洞窟ヘ抜けるが、右の道を行くと、ポクナシル(あの世)ヘ行ってしまうという。いわゆるオポクナル(下界ヘ行く道)である。この洞窟は別にフーリシュイ(フーリの穴)とも云われた。それについて次のような伝説が伝えられている。
むかし、ペシュイの洞窟にフーリと称する大怪鳥が住み、近くのコタン(部落)を襲っては人を捕って食うので、コタンの人々は大恐慌を呈した。その頃、網走のモヨロのコタンには、ピンネモソミ(細身の男剣)と云って、一抜きたちまち千人を斬るという名剣があり、美幌のコタンには、同じく一抜き千人のマッネモソミ(細身の女剣)があった。そこで、モヨロから六人の勇士が択ばれて、このピンネモソミの名剣を持って、フーリの征伐に出かけた。彼等は、たまたま子を負うた女がタンネシラリの漁場に行く途中、フーリがさらって洞窟に飛びこんだのをみて、それを追って洞窟の中ヘ駆けこんだ。ところが、名剣を持って先に駆けこんだ三人はフーリと共についに帰らず、やや後れて穴ヘ飛びこんだ三人だけが、網走川の岸に向って開いているペシュイの洞窟ヘ出て来た。それから後、モヨロには宝剣が無くなったのだという。
このフーリの片割れがもう一羽、たまたま穴を出て、パイラキの前方の海中にある二ツ岩の上に休んでいた。モヨロの人々はそれをも退治しようとして、美幌のコタンから名剣マッネモソミを借り出し、二ツ岩の所ヘ押しよせた。そして岸から葦の茎で橋をかけて押し渡ろうとしたら、葦の茎が折れて渡ることができない。そこで、岸から狙いをつけて名剣を投げつけると、名剣はたちまちフーリを食い殺してしまった(こういう刀をアイヌはイペタム ipe-tam∗1と言い、原義は「人食い・刀」の意である。それで「食い殺した」などと云い方をしたのである)。このマッネモソミは、沖の岩で、誰も取りに行かぬままに、蛇になってぶら下っていたが、いつの間にか姿をかくしてしまった。それから後、美幌のコタンにも宝剣が無くなってしまったのだという。(昭和二十五年一〇月、美幌コタン、菊地儀之助翁より採集)
〔「あの世の入口―いわゆる地獄穴について―」〕
網走海岸の地獄穴〔網走市の伝説〕
網走駅の川向の川岸に、昔岩穴があった。同じ岩穴が海岸のピットカリとタンネシラリとの間にもあって、この岩穴はお互いに通じあっていたと言い伝えられている。
大昔、この海岸のピシュイの岩穴に、ヒウリという巨鳥が住んでいて、附近にある二ッ岩の上に翼を休めていては、下を通る獲物を狙っているのを見かけることがあった。
或る時のこと、この下を子供を負った女が、タンネシラリの方ヘ行くために通ったところ、突然ヒウリが現われて、アッという間に親子もろともさらわれてしまった。
可愛い子供と妻をさらわれた父親は、部落の男五人と一緒に、人をも食うと言われている、エペタムという宝刀をもって、ヒウリのかくれたピシュイの洞窟に入って行ったが、途中まで行くと穴が二つに分れていたので、三人ずつ別れて進んで行くうち、一方の穴を進んだ人達は何物にもあうことなく、網走川のピシュイに出て来たが、エペタムをもって別の穴に入って行った三人の方には、どんな惨劇が行われたかしらないが、ついに一人も戻ってくるものがなかった。然しそれきりヒウリの姿も二つ岩に現われなくなった。
それ以来、ピシュイの穴は地獄に通じているから、入ってはいけないと言伝えられている。(美幌町野崎・菊地儀之助老伝)
〔『アイヌ伝説集』296-297頁〕
伝説の巨鳥〔網走郡美幌町の伝説〕
北見美幌にはフリシュイ(フリーの穴)という地名があり、そこにフリーが棲んでいるといわれている。
あるとき、そこを子供を背負って通った女が、フリー(ヒウリ)に襲われ攫われていった。妻と子供を攫われた夫はフリーを退治するために五人の友人と、人をも食うというイペタムという妖刀を持って穴に入った。穴は途中で二つに分かれていたので、男たちも二組に分かれて進んで行った。ところが三人は無事に別な岩穴から出てきたが、イペタムを持った組はそれきり戻ってこなくなり、フリーもそれからは現れなくなったという。
〔『コタン生物記III 野鳥・水鳥・昆虫篇』647頁〕
美幌の宝刀
北見の美幌部落に、昔、非常な力のあるマッネ・モショミという宝刀があった。
或る時、網走郊外のオホック海に面した、タンネシラリというところの崖に魔神が住んでいて、色々の悪業をはたらくが、誰もそれを退治することができないので困ったあげく、美幌部落にある宝刀のことを思いつき、使いものが美幌部落に行って、わけを話してこの刀をかりて来て魔神退治に出かけた。
ところが魔神は、普通では人間のとても行けない岩の上にいるので、しかたなくこっちの山から葦で橋をかけて渡ろうとしたが、それが途中で折れてしまって、どうしても行くことが出来ない。そこで思いあまって、持っていた宝刀を魔神めがけて投げつけたところ、宝刀はあやしい光の尾を曳いて飛んで行き、あわてる魔神に飛びついて、たちまちバリバリとたベてしまった。
こうして魔神を退治することができたが、絶壁の上に投げつけられた刀は、それっきり取りに行くことができず、歳月のたつうちに、宝刀はついに蛇になって絶壁にぶらさがっていたが、それ以来美幌部落の宝刀がなくなってしまった。(美幌町野崎・菊地儀之助老伝)
〔『アイヌ伝説集』297-298頁〕
桂恋のチャシ〔釧路市桂恋の伝説〕
桂恋のエカシ(井樫家の祖)の家に祖先以来の宝刀が一本あった。その刀は「イペタム:物を食う刀」と名付けられていた。この刀を納めて置く箱のなかには、常に獣の骨を入れて置くのである。すると箱のなかから夜も昼もカタコトと音がするのだ。箱を開けると、骨はいつのまにか粉々になっていた。エカシは長いあいだ、骨の入れ替えをしていたのだが、イペタムは錆びることも腐ることもなく、不気味な光を放つのだった。
やがて戦争が終わり、平和な時代がやって来たので、エカシたちはこのイペタムの処遇をめぐって協議した。エカシたちの結論は、このままイペタムを放置して悪いことが起きてはたいヘんである。世の中も平和になった今、大事をとってこれを自然に返すベきだということになったのである。
その後、古老たちは刀送りの儀式をつかさどり、桂恋の沖合い深くイペタムに石を括りつけて海中に送ったのである。
イペタムに関しては、昔話のなかでもよく語られていることである。この刀を手にした人たちは、好むと好まざるにかかわらず、敵を切って切りまくるという恐ろしい刀だと聞いている。その刀が明治三十年まで桂恋にあったのである。
〔『森と大地の言い伝え』118頁〕
名刀の話〔阿寒郡鶴居村の伝説〕
この(桂恋の)チャシは、おらの見たところアイヌのチャシではないね。シャモ〔和人〕∗3だって(江戸期に外国人と)戦争に使うために作ったチャシコッが相当あるのではないかと思うね。おらはこのチャシコッは、シャモが使ったもんではないかと思うね。
昔は厚岸の方と桂恋(厚岸町)、仙鳳址と手をつないでつき合いして悪いことばかりしていたもんだ。(精神の)いい者は住んでいなかったの。それでここにアイヌの偉い人が住んで、悪いことしないように見張ってたもんだ。
昔この村にイペタム〈ipe-tam = 食事する-刀 = 名刀、人を切り殺したくなる刀、人の血を吸いたがる刀〉という、物食う刀があって、その刀を持っているアイヌの親分がいたの。さっきいった(北海)道内一のばくち打ちの親分で、八十人からの子分持っていて、ここに日本人のばくち打ちも、皆寄って来たらしん(で)す。
おらの上から二番目の兄貴が頭もよく、豪傑でその親分の一の子分であったん(で)す。この家にイペタムあったっていうこと、どうしてわかってるかっていえば、その兄貴が教えてくれたんす。
この家には子供がなくて、その親分の嬶〔かかあ∗4〕∗3だかが、(夫と死別した)後で、おらのいる(鶴居村)下雪裡に来て、金つば焼きして暮していたもんだ。名前はサリマッ(sari-mat = サリ(という)-女)ババといった。
このばあさんに聞いてみたところ、二回も火事にあって焼け出されたと。おらが生まれる前に一回、物がわかるようになってから一回ね。
ばあさんの所にあったイペタムに魚の干したのを(食物として)あてがっておかないと、イペタムは腹すけて、もの食いたくなれば、ひとりでに(鞘から刀身が抜け)出て(人の血を求めて)歩きたくなってしまうんだそう(で)す。
それで魚を干して干して蓄えておいてむったり(始終、しょっちゅう、四六時中、いっつも)干した魚を預けていたが、ばあさんも年とって魚干しも大変になって持ちきれなくて、そのイペタムに大きな石つけて、ずっと海の奥(沖)ヘ持っていって海の中に投げて沈めてしまったんだといっていた。この話はおらがあんこ〔若者〕∗3の時代のこった。だから、今はイペタムないことになっている。
〔『アイヌのくらしと言葉1』49-50頁〕
釧路地方の伝承〔釧路市の伝説〕
昔、桂恋の酋長の家には、立派な鎧と刀とが代々家の家宝として伝えられてきた。酋長はその鎧を時に高い竿にかけてチャシに立て、金の飾りが日に輝いてピカピカ光るのを見て羨ましがる人々を眺めて独り悦に入っていた。また、刀は二重の箱にしまって人には見せなかった。不思議なことにこの刀は生きていると言われ、食物として干魚を入れておくと無くなっている。無くなるとまた入れておく。もし入れなければ、ガクガクと音を立て食物を催促する。だから常に干魚を入れておくことになっていた。それで「生きた刀」として怖れられていた。
光る鎧の評判は遠く北見の方まで知れ渡った。北見のある有力な酋長が、その光る鎧が欲しくなってたまらず、これを盗み取ろうと色々工夫したが、桂恋の酋長は油断なく見守っているので、手の施しようがなかった。ある時ふとうまい考えが浮かんだ。それは、若い男をやったのでは怪しんで監視を厳重にして近寄ることも出来ないが、妊娠してる女なら油断するだろうから、すきを見て盗んで逃げ帰るという計略であった。その計略はうまく行った。酋長はウタリ(身内の者)と一緒に沖に魚を取りに行った。そのすきに乗じて鎧を盗み取って逃げ出した。酋長はそれを知って大急ぎで舟を漕いで帰り、伝家の宝刀「生きた刀」を持って追いかけクスリ(釧路)のモシリヤ(城山町)で追いつき、後から払い斬りに胴を斬ったら、腹の子供もろともに斬ってその鎧を取り返した。それからその刀を「オボコロベ(妊婦を切った刀)」というようになった。(釧路春採・志富ウェーニキ氏伝、佐藤直太朗氏輯)(初出:佐藤直太朗一九六八)
〔『アイヌ伝承と
人食刀〔川上郡弟子屈町の伝説〕
ごく大昔の話だということであるが、一人の男のいるところヘ大勢の敵が攻め寄せて来た。逃げることもならない男は困りはてて、目釘の切れたタシロ(山刀)をもって、「人食刀よ、偉い老人を選んで先に食ってくれ」といってカッタカッタと音をたてて踊ったところ、敵はびっくりして逃げてしまった。
敵は人食刀が人を食いたくなって鳴り出したのだと思ったのである。この人食刀はうっかりして自分の方ヘ刃を向けて抜くと、自分の身体が切れてしまうというおそろしい刀だ。(弟子屈町屈斜路コタン・山中西三老伝)
〔『アイヌ伝説集』243-244頁〕
布伏内の人喰刀〔釧路市阿寒町布伏内の伝説〕
阿寒市街から元の雄別炭坑寄りに布伏内というところがあり、そこの神社のあるところは砦址であった。
昔、この岩の男達が松前の方ヘ、産物を持って交易に出かけ、女達はウバユリを採りに山に行っている留守に、根室や厚岸の野盗共がやって来た。砦の中には、たった一人の老婆だけより残っていなかったが、剛気な老婆は目釘のゆるんだ山刀を持ち出し、それをカタランカタランと振りながら、「私の人喰刀よ。親方を選んで食ってしまえ」といったので、野盗の群は蜘蛛の子を散らしたように逃げてしまった。(阿寒湖畔・舌辛サイケサニ老伝)
〔『アイヌ伝説集』224-225頁〕
妖しい刀の昔話
私は兄二人と父とあって暮してゐた。が或日若い男子が二人、村の人々の仕打を憤って出て来たのを、父も兄たちも同情をして、家ヘ留めて置いた。
私の兄達も猟にかけては人にゆづらぬ人々だったけれども、此の外からの人たちの名人なことと云ったら、毎日、熊でも鹿でも、どんどん捕って来て、宝物を買っては左座ヘ積むのに、終には家一ぱい宝になってしまった。
そこで、その中の年上の方をば美しい娘を娶らして別家を建てしめ、年下の方には私を配して私達が又別に一軒の家に暮らした。
間もなく私は身重になって可愛らしい女の子を生んだ。夫婦で愛育し、大きくなった頃、どういふ訳か、
それから赤坊が惜しく、夫と共に悲哀に沈んで暮したが、その中に又身重になって、今度は綺麗な男の子を生んだ。やっぱり可愛がって育ててゐると、又唐櫃の中に鼠が物を噛むやうな音がしてゐた。やっぱり色々の堅い革を函の中に入れるのを見て暮してゐた。そして又或晩厠ヘ行きたくなって起きた。今度は子供を私の懐に入れたままで外ヘ出た。帰って見ると、又前のやうに家の中が明るい。そして美しい女がやっぱり丸裸で梁の上に夫を掴んで両腕の間に揺ぶってゐる。戸を明けて入ると又真暗になって夫は喉笛を裂かれてゐる。号叫の声を挙げると、人々が驚いてやって来た。そして父は、一体どういふのかと云うから、斯く斯くの次第で、此前には赤坊を夫の懐ヘ人れて出たら、帰って見ると、それが喉笛を割かれて殺されてゐたから、こんどは赤子をば抱いて起ったら、夫が殺されてしまったと話す。父は、夫の兄と咄をして、若しや何か御身たちの宝に崇りのものがないだらうかと聞くと、兄の人のいふには、村を怒って出て来た時に、沢の岩間の水溜に、二尾の
それから夫の野ベの送をしたあと、兄君は自分のと、私の夫のと、一所に背負ってその守り刀を山ヘ送って来たが、いくら送って送っても帰って来る。そこで海の真中ヘ石を縛付けて送ったら、やっと帰って来なかった。
それから夫が恋しく慕しく、生きてる限り悲嘆に暮れた。子供は日に日に成長すると、亡き夫生きうつしになったが、夫の恋しさに、たうとう早死にしさうになってしまったから、せめて、これだけ云って死ぬのだ。
――と、その死んでゆく女の物語。
〔『ユーカラ概説』40-42頁〕
隠された人食い刀「ムッケ イペタム」
私、ポンヤウンペは、どこで生まれてどこで育ったか分からないけれども、大きな家の中で物心が付いた。〔中略〕自分自身の年が二十歳くらいになった頃のある夜のこと、〔中略〕私は立ち上がり、祭壇の所にあった武具を身に着けた。「ムッケ イペタム」という人食い短刀があって、その短刀を懐に入れて〔中略〕炉縁を踏んで外ヘ出た。〔中略〕暫くの間、鳥が飛びように暗い夜を飛んで行った。前の方に大きな村が見えて、やはり自分が暮らしている家と同じようなたくさんの城というか、家が相重なって、建っていた。そのうちの大きい家の中で焚いた火が、簾(すだれ)を通して外ヘもれて見えている。それで私は家の東側の軒先ヘ行って、簾の所ヘ目を当てて内側を見ると、大勢の人が並んでいた。武装した人たちが。
〔中略〕
窓から内側を覗いてみると大勢の人たちがいて、その人たちはお酒を飲んで、いろいろな話をしながらいるのを見た。そして、家の中を見ると宝物を並ベてある上に金作りのパッチ(鉢)があった。木の鉢じゃなくて金作りの鉢があって、それを見ながら家の中を見ていた。そうすると、誰やら自分の前ヘすーっと来たような気がして見てみると、それは先ほどの見ていた、金作りの鉢がふわふわと舞い上がったと思ったら、人間の姿になって、立派な若い娘になった。その娘が私の傍ヘ来た。そして言う事は「ポンヤウンペ、あなたがここヘ来ていたのを私は見た」と。「だけど、よくまあこれだけの人たち、呪術をする女もたくさんいるのに」と私に話しかけてきた。そのうちに私の懐にあった人食い短刀が、ぱっと音を立てて飛んでいって、大きな家の入り口ヘ入って左側にいた一人の女、その女、顎の所で髪を切り揃えた、あまり器量のよくない女にプスッと心臓を一突きにして、その短刀は私の懐ヘ戻って来た、と。その女は座ったままで、全く生きたような姿そのままで座っている。それを見た私は驚きながらいた。そこヘさっきのパッチ(鉢)が舞い上がって女になって、私の傍ヘ来て言うのには「私は天の上の龍の神様、女六人、男六人の十二人兄弟の一番小さいのが私です。ここの村を守るために天から降ろされてここヘ来た。見てみると、ポンヤウンペあなたを襲おうとして、今晩、近郷近在の人たちが集まって、こうやっているのだよ」と。「だけれども、身内のいない者・親戚のいない者を斬るのを味方するのは嫌なので、私はあなたの味方をする」と。
一つ付け加えるけれども、先ほど人食い刀で殺したあの女の妹もいるけれど、その女はここの家主の言う事を聞かないで別に家を持っている。その女も後であなたの所ヘ来て、味方になってくれるはずだ、と。そう言いながらいる所ヘ人影が動いた。見てみると、神の女である龍の娘である神様が言った通り、きれいな女がお酒を持って来て、私に飲ませてくれた、と。私が先ほど言ったけれども、こうやって女二人があなたの味方をするからには、これから死ぬも生きるも共にしたい。だから他でない事でもないから、神の女と私二人をあなたの妻にしてください、と人間の女も言った。ポンヤウンペはそれを聞いて喜んで、大歓迎だ、ぜひ助けてください、手伝ってください、と言いながらいて、女は家の中ヘ入ってお酒を持って来て、次々とお酒を飲ませてくれる。
それを飲んでいるうちに、一人の女が家の中で立ち上がって言うのには〔中略〕「これだけ大勢の人たちがこういうのを見逃しているというのは何事だ」と。「早い時間にポンヤウンペが来て窓の外にいて、見てくれ、そこにあったこの村を守るために天から降りてきたパッチ(鉢)も女になって、外ヘ出てポンヤウンペに酒を運び、一緒に酒を飲んでいる。無いのは子供だけでやりたいこと、やり放題やっているのを誰も知らないのか」と言った。
そこで初めて私・ポンヤウンペが窓の外にいることにみなが気づいた。そして、私はいっぱいお酒を飲んでいるうちに、目の前にいた二人の女はどこかヘ行ってぱっと消えてしまった。だから、ドングリが木から落ちるように窓から内側ヘぽろんと落ちて、その家主の男の両方の肩を掴まえて、「たった一人のポンヤウンペを斬るために殺すためにこんなことをしているのか。斬れるものなら斬ってみろ、殺せるものなら殺してみろ。斬り合い殺し合いする者同士でも、お酒は同じく分けて飲む、飲ませてくれと」と言った。そこであった大きな行器(ほかい)を取って、こくごくと飲み飲み干した。その空になった行器をその家主の頭にかぶせた。ぱっと刀を抜いてり付けると、何人かの者は斬ることが出来たけれど、泡のように床に潜って行く者、あるいは体をかわして行く者というように、と。それで、男たちは次から次と斬り殺す。わざと家の中の焚き火の火を蹴散らすと、そちらこちらに火がつき炎が走った。それを消そうとして男や女が走り回る。それを火と一緒に炎と一緒に削る。切り殺すそのうちに、その大きな家に火がついて今にも倒れそうになったので、私は外ヘ飛び出した、と。家が、がさっと燃え落ちた。
それから斬り合いを始める。私は自分の力で、右手で持った刀で斬った者は人間の上半身は自分の目の前ヘ散らかる。下半身も散らかるというような、すごい戦争を始めた。
〔中略〕
先ほどの二人の女も私を助けてたくさんの者を斬る。つまりその村を裏切った神様である女と家主の所の妹が私・ポンサウンペを助けて、たくさんの人を殺した。〔中略〕そうしているうちに私の懐にいたあの刀が飛び出して、そこら辺の虫けら一人残らないように斬りまくって、ようやく「トゥミスイケレ ウェンケスイケレ〔「戦争が終わり、悪いことは終わり」の意∗5〕∗6」と言うのだけれども、戦が終わった、と。一本の風倒木に腰をかけていると、先ほどまで手伝ってくれた若い二人の女が、自分の側ヘ来ないで大分向こうの方で髪を大地ヘ置くような形で座っているのを、私は手招きし自分の側ヘ呼んで「二人のお陰で命も助かった。俺の住まいであるシヌタプカヘいきましょう」と言った。空を飛ぶと二人の女も後ろヘ付いてやって来た。
シヌタプカの砦と言うか家ヘ帰って来て〔中略〕何日か過ごしたある夜のこと、さあ寝よう、と。一人で寝たら淋しいので床を三つ並ベて作れ、と言うと、喜んで三つの床を並ベて作ったので私は中ヘ寝た。そして、右ヘ向いしてはキスをして左ヘ向いては接吻をした。両方の手を伸ばすと、女の肌はこんなにきれいなものか、と思うように、氷がすベすベするようなきれいな柔肌に私は手を伸ばし、二人の女を両方に寝せて、本当の話をたくさんしながら眠りについて、今は三人で何の不自由もなく暮らしている、とポンヤウンペが語りました。
〔『平成16年度アイヌ民俗文化財調査報告書』6-9頁〕
神伝(カムイオイナ)
オウフイ カサ ouhui kasa 縁の焦げたる 兜の
カサ ランツペピ kasa rantupepi 兜の 紐の緒
アヤイコユプ ayaikoyupu, われみづから緊め、
オウフイ シリカ Ouhui shirka 端の焦げたる 鞘、
エウン イペタム eun ipetam それヘはまれる 宝刀を
アヤイツムパコ ayaitumpako われ自ら鍔元まで
セシケ カネ seshke kane; ぐっと差す。
〔『世界聖典全集14 アイヌ聖典』51頁〕
1)イペタムをどう保管するか
1-1. ガマのむしろで包む
1-2. 箱に入れる
1-3. 鞘に納める
2)イペタムに何を食わせるか
2-1. 石
2-2. 革
2-3. 獣の骨
2-4. 干し魚
3)イペタムは光を放つか
3-1. 光を放つ
3-2. 刀の化身である美女の肌が光を放つ
4)イペタムはどう人を斬るか
4-1. 刀がひとりでに動いて人を斬る
4-2. 刀を持った人間が他者を斬る
4-3. 刀の化身である美女が人をつかんで揺さぶると、その人の喉が斬られている
5)イペタムをどこに捨てるか
5-1. 底無し沼
5-2. 海
平取アイヌの人々が、いつも野盗に夜討ちをかけられて苦しんでいた。気の毒に思った源義経が「もし野盗が押し寄せたら、この刀に祈願しろ」と言って、刀を与えた。野盗が攻めてきたので祈ると、刀がひとりでに飛び出して暴れまわり、野盗を追い払った。
だが、しばらく賊に襲われずにいると、箱の中に納めた刀がカッタ、カッタと音をたててあばれ始めた。村人は、刀を止める「ダイニノヒ」という呪文を教わっていたが、呪文を知る老人はすでに死に絶えていた。
村人は恐ろしくなって刀を川に捨てたが、村に帰ると刀はもとの場所に戻っていた。しかし刀をくりかえし捨てるたびに、小柄、鍔、目釘、鞘と、刀の部品がひとつずつ無くなっていった。最後に刀身だけとなり、刀を奥高見に捨てると、ついに刀は戻ってこなかった。
〔『アイヌ勘定―北海道膝栗毛―』135-138頁〕