メモ: ツクヨミの行方
アマテラス、ツクヨミ、ヒルコ、スサノオ。
日本書紀第5段本文が伝える、イザナギとイザナミが「天下を治めるべき者」として生んだ、四柱の神々。
彼らは父母神によって、日神アマテラスは天を治め、月神ツクヨミも補佐として天を治め、スサノオは天下を治めるよう命じられた。
ヒルコは、三年経っても足が立たなかったので、舟に乗せて海に流されて棄てられた。
アマテラスは、天上の主宰神として、この後もたびたび記紀に登場する。
スサノオも、天下の支配権を手放し、父母によって根の国に追放されてからも、八岐大蛇退治などで活躍する。
ヒルコは、舟に流されて棄てられたので、登場する機会がまったく無い。
ツクヨミはどうか。
彼は日本書紀では、日神の補佐として天を治めることになった、と説明されたのを最後に、本文には登場しなくなる。
古事記でも、夜之食国を治めることになったと説明された後は、いっさい登場しない。
いったい、ツクヨミはどこに行ったのだろう。
手掛かりとなるのは、日本書紀第5段第11の一書だ。
イザナギは「アマテラスは高天原を治めなさい。ツクヨミはアマテラスの補佐として、天を治めなさい。スサノオは青い海原を治めなさい」と言った。
天上にやってきたアマテラスは「葦原中国にはウケモチ(保食神)がいると聞きます。ツクヨミは、あいさつに伺ってきてください」と言った。
命令を受けたツクヨミは天から降って、ウケモチのもとにやって来た。
ウケモチは首を回して、陸に向くと、飯を口から出した。
海に向くと、ヒレの大きな魚と、ヒレの小さな魚を口から出した。
山に向くと、毛の硬い獣と、毛の柔らかい獣を口から出した。
ウケモチは、口から出した品物をたくさん用意し、百の机に並べて、宴の準備をした。
ツクヨミは顔色を変えて「なんと汚らわしく、卑しいことだ。口から吐き出したものを、わたしに食べさせようとするとは!」と怒り、剣を抜いて、ウケモチを撃ち殺してしまった。
その後、ツクヨミが天に帰って事の次第を報告すると、アマテラスは「あなたは悪い神です。もう顔も見たくない」と怒ったので、それから昼と夜は別々になった。
アマテラスはもういちど、ウケモチの様子を見るように、アメノクマヒトを遣いに出した。
ウケモチは死んでいたが、その神の髪からは牛馬が生まれていた。
頭からは粟が生えていた。
眉からは蚕が生まれていた。
眼からはヒエが生えていた。
腹からは稲が生えていた。
陰部からは麦と大豆と小豆が生えていた。
アメノクマヒトは、それらを全て持ち帰って、アマテラスに献上した。
アマテラスは「これらのものは、うつしき蒼人草を生かすための食べものにしましょう」と喜んだ。
そして粟、ヒエ、麦、豆の種子は畑にまき、稲の種子は水田にまくことにした。
また、アメノムラキミ(天邑君)を定めた。
稲の種子を天狭田と長田に初めて植えた。
秋になると豊かに実った穂が垂れて、その様子は見事だった。
また、蚕を口に含むと、糸を引いて取ることができた。
こうして養蚕が始まった。
異伝として扱われているこのエピソードは、日月の離別と、食物神の遺体からの種々の食物の発生をテーマにしている。
世界中の神話や伝説にも見られるモチーフだ。
ちなみに古事記では、このエピソードはスサノオとオオゲツヒメの組み合わせで語られている。
オオゲツヒメは、国生みのときに生まれた四国の、粟国を司る女神だ。
彼女は、神生みのときに生まれた穀物神でもあり、しかしスサノオに殺されてしまう。
だけど、その後、スサノオの子孫であるハヤマトと結婚して、多くの子を生んでいたりする。
やたら登場回数が多く、死んだり生き返ったり、非常に忙しい女神だ(笑)
やはりツクヨミについては、記紀は共に多くを語らない。
日本書紀第5段本文と第11の一書は、
(1)イザナギとイザナミの子である。
(2)アマテラスの補佐として天を治めた。
(3)ウケモチを殺したことで、アマテラスと仲違いした。
(4)その後、昼と夜が別々になった。
せいぜい、これぐらいしか説明していない。
古事記はもっと情報が少ない。
(1)イザナギの子である。
(2)夜之食国を治めている。
これだけだ。
ただ一度、人代に入ってからツクヨミが登場したエピソードを、日本書紀は伝えている。
日本書紀顕宗天皇三年春二月の条には、
月神から「自分を月神として奉れば福慶がある」という神託があって、この神託によって建てられたのが京都の月読神社である、と書かれている。
これ以上のことを、日本書紀も古事記も語っていない。
ちょっと気分転換も兼ねて、記紀から離れてみようか。
突然だけど、伊勢にはツクヨミを祭る月夜見宮がある。
月夜見宮は、伊勢神宮の外宮である豊受大神宮の別宮にあたり、豊受大神宮に祭られているトヨウケヒメは衣食住を司る女神だ。
トヨウケヒメは日本書紀には登場しない。
彼女は古事記に登場する女神で、イザナミの火神出産のときに生まれたワクムスヒの娘にあたる。
ワクムスヒは日本書紀でも登場していて、彼の頭から蚕が生まれ、桑が生え、さらにヘソから五穀が生じたという。
ワクムスヒは養蚕と農耕の起源神であり、この父神の神格を受け継いだトヨウケヒメも、養蚕や農耕を含む、あらゆる産業の守り神とされている。
トヨウケヒメが伊勢の豊受大神宮に祭られるようになったいきさつは、なかなかユニークだ。
あるとき雄略天皇の夢にアマテラスが現われ「独り暮らしが寂しくて、食事もおいしくない。わたしの朝ごはんと夕ごはんの面倒を見てほしいから、丹波国にいるトヨウケヒメを連れてきてちょうだい」と告げた。
これが豊受大神宮の由来だ。
アマテラスが自分の食事の面倒を見させるために、わざわざ天皇の夢に出て、トヨウケヒメを自分と同じ伊勢の地に祭らせたというわけ。
どんだけ寂しく、そしてひもじかったんだろう(笑)
しかもトヨウケヒメを名指ししたのだから、アマテラスは、この女神をそうとう気に入っていたみたい。
さて、そんなトヨウケヒメを祭る豊受大神宮の別宮として、月夜見宮はある。
月夜見宮の由来は、じつはよく分からない。もともとは農耕に関わりが深い場所だったという。
そういえば古事記では、ツクヨミは「夜之食国(よるのおすくに)」を治めるようにイザナギに言われたと伝えられているが、この「夜之食国」というのは、いかにも「食べもの」が関係していそうな名称だ。
「おす」には、「治める」と「食べる」の両義があり、夜之食国は「闇夜が支配する国」といった意味が込められているように思えるけど、文字どおり「夜の食べものの国」という意味であるようにも考えられる。
ツクヨミには、アマテラスと同じく、複数の神格を統合した痕跡がある。
もしかしたら月神の他にも、食物に深く関わる神格を内包しているのかもしれない。
ところで月夜見宮と豊受大神宮をつなぐ道は、神路通りと呼ばれている。
伊勢の民話では、毎晩ツクヨミが馬に乗ってこの神路通りを行き、トヨウケヒメを訪ねているのだという。
ちょっとロマンチックな話だけど、
トヨウケヒメは、日本書紀異伝でツクヨミが殺したウケモチや、古事記でスサノオが殺したオオゲツヒメと同一視されることがある。
みんな食物を司る女神だからなんだけど、そうなるとツクヨミは、自分の手で殺した女神と毎晩デートしてることになる(笑)
さらにいえば、トヨウケヒメは、ツクヨミがケンカ別れした姉神アマテラスのお気に入りだ。
トヨウケヒメにしてみれば、仲の悪い姉(会社社長)と弟(同僚恋人)にはさまれて、けっこう気まずい思いをしているのかもしれない。
な~に?このドキドキ秘密の社内恋愛っぽい展開は(笑)
というわけで(どういうわけで?)結論。
ツクヨミは、毎晩、トヨウケヒメに夜食をつくってもらってる。
2016.6.23
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