メモ: 言霊
「初めに言葉があった」とは『新約聖書』ヨハネの福音書の最初の一節だ。
このあと「言葉は神と共にあった。言葉は神であった」「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」と続く。
ヨハネの福音書は、言葉こそ神の権能そのものであり、世界を形作る真理だと説く。
人はパンだけで生きるものではない。神が口にしたひとつひとつの言葉で生きるのだ、とイエスも言っていた。
言葉を、世界を形作る要素――根源的なものだとする考え方は、日本にもある。
平安時代に編纂された『古今和歌集』仮名序文では、このように書かれている。
「大和歌(やまとうた)は、人の心を種として、よろづの言の葉となれりける」
「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、
目に見えぬ鬼神(おにかみ)をも、あはれと思はせ、
男女(をとこをむな)の仲をも和らげ、
猛き武士(もののふ)の心をもなぐさむるは、歌なり」
「この歌、天地の開け始まりける時より出できにけり」
大和歌は、人の心を種として様々な言葉となったものであり、
歌によって、力も入れずに天地を動かすことができる。
この歌は、天地が分かれて世界が形作られたときに生まれた。
歌には――言葉には、天地を動かすほどの超常的な力――言霊が宿ると考えられていた。
面白いのは、聖書が、言葉は神そのものだと、やや独占的なニュアンスを持たせているのに対して、
古今和歌集は「花に鳴く鶯(うぐひす)、水に住む蛙(かはづ)の声を開けば、
生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」と言っていることだ。
ウグイスやカエルが鳴く声を聞けば、すべての生き物が歌を詠まないことはないと分かると、
神はもちろん人だけでなく、鳥獣すら歌の力を行使できることを示唆している。
そういえば日本書紀も、天つ神によって地上が平定されるまでは、草木も言葉を発していたと伝えていた。
ふと、「呪文」が持つ力――言葉が持つ呪力の根源に思いをはせて、こんな話をしてみた。
2016.1.12
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