ノアの弟子たち












このあいだ若い頃のザンデたちを描いていたら、妄想が膨らみに膨らんで漫画になった。
スティルツキンは友情出演です(笑)

FC版FF3本編ではほとんど触れられることのない、ザンデが闇を呼び寄せた理由。

DS版でようやく「永遠の命を手に入れる」という、ずいぶん俗っぽい、ある意味もっとも「人間っぽい」理由が補足された。
しかし僕は、ザンデは、ほんとうは病魔に侵されたドーガを救いたくて、時間稼ぎのために時を止め、闇の力を手に入れてドーガの死病を治そうとしていた、という説を推したい。
古代の民の迷宮やクリスタルタワーに出現するドーガクローンやウネクローンは、兄弟弟子の命を救う方法を探し出す過程で生まれたに違いない(決めつけ)。
でもドーガとウネは、ザンデが犯した過ちを正すために、自ら死を選んでしまった。それを知って自暴自棄になったザンデは、当初の目的を忘れて闇を呼び寄せ、あやうく世界を無に還すという危機を招いてしまったのだった。

ザンデが、ノアに与えられた人間としての命を「つまらないもの」と切って捨てたのも、ほんとうは、ドーガやウネと同じように年を老いて、同じように死んでいきたかったからだと思いたい。
もっと踏み込むと、ザンデが人間になり、ドーガが魔物のままで(僕は、ノアの弟子たちは魔物だったと考えています)、ウネが夢の世界の住人になると、3人はもう同じ“時間”を過ごせなくなる。
ドーガとウネのことが大好きだったザンデは、それを嫌がり、ノアからの贈り物を拒んだのだった。

この3人は、師匠も含めて、そういうとことんすれ違うのがよく似合う(笑)。

あと、ザンデたちにも恋の花開く青春時代が当然ながらあったはず。
物静かなドーガは明るく元気なウネを好いていて、だけどウネは快活で親分肌なザンデにほのかな恋心を抱いていて、もちろんザンデもウネのことが大好きなんだけど、でもそれはドーガと同じ親類への愛情に近く、むしろザンデには恋愛感情というものが無いものだから……という、やっぱりすれ違い片思い三角関係を強く希望したい(爆)。

さらに言うと、FF9が謳った「原点回帰」と「生命賛歌」というふたつのテーマにもっとも強く影響しているのはFF3だと僕は考えている。

「体は死んでしまっても、魂は滅びはしない」

この言葉は、9を貫く「記憶と生命を永遠に受け継がれる」というメッセージと符合する。
星の核であるクリスタルが「記憶と生命」を司るという設定も、もとをたどっていくと、3における、クリスタルに宿る過去の英雄たちの魂を受け継ぐ、というジョブチェンジの設定に行き着く。

もうひとつの共通点はボスキャラクターの思想だ。
DS版3で、ザンデが闇を呼び寄せた理由は、永遠の命を得ることだとされた。
9でクジャが世界を滅ぼそうとしたのは、まもなく自身の命が尽きることに絶望したからだ。
輪廻を望んだガーランド、世界を支配しようとした皇帝、すべてを無に還そうとした暗闇の雲、異星の生命を根絶させようとしたゼムス、無の力を欲したエクスデス、死と破壊の快楽におぼれたケフカ、人間へ復讐し星の神になろうとしたセフィロス、時間圧縮によって他の存在を否定しようとしたアルティミシア、すべてを無に還すことで死の恐怖から生命を解放しようとした永遠の闇、人々に死という安寧をもたらそうとしたシーモア、滅びゆく故郷を夢に見続けようとしたエボン=ジュ、人間世界の平和と繁栄を望みながら非道に走ったヴェイン、人間世界を滅ぼし神による支配を求めたファルシ=オーファン……僕が考える限り、これほどまでに自分の「命」に固執したラスボス、準ラスボスはいない。
3の物語も9の物語も、立ち向かうべき敵が「命」に固執することで、逆に「命」というテーマを強調していたのではないだろうか。



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